烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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広島大本営と雁金準一

 広島城本丸跡には「広島大本営」の礎石が残されています。大本営とは戦時において陸軍や海軍を支配下に置いた天皇直属の最高統帥機関です。明治27年(1894)に日清戦争が勃発すると東京の参謀本部内に大本営を設置。その後、皇居内に移ります。しかし、より迅速に対応する必要があるとして、当時、東京から整備された鉄道網の西端で大型船が運航できる港(広島港)を有する広島へ大本営が移設されます。明治天皇も広島へ移り、日清講和条約(下関条約)調印までの200日余り滞在されています。

 また、広島には臨時の国会議事堂が建設され、第7回帝国議会が開催されるなど、短期間ではありましたが実質的な首都機能移転がなされていました。
 建物はそのまま残されていましたが、昭和20年の原爆投下により壊滅し、礎石のみが残されています。

広島大本営
広大本営跡

 ところで、日清戦争当時の総理大臣は伊藤博文(第二次伊藤内閣)で、伊藤博文も広島に滞在していました。そして、伊藤の書生として同行していたのが、後に本因坊秀哉と本因坊当主の座をかけて争うことになる雁金準一です。
 雁金準一は4歳のころ父より碁を学び12歳の頃には近隣では敵無しと言われるほど棋力が上がっていたそうです。父の病気で生活が困窮していたため箱根の旅館で湯治客の碁の相手をしていたところ、伊藤と知り合い書生となったそうです。広島や、その後の講和条約締結のために下関へ伊藤に同行し滞在していますが、この時「碁打小僧」として名を知られるようになります。そして、3年後には碁で生計を立てようと伊藤家を出ています。

広島県広島市中区基町21−1 広島城内
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