烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

広島城の天守閣と石垣

 広島城は別名「鯉城(りじょう)」と呼ばれています。由来は城が建てられた場所が昔「己斐浦」と呼ばれていて「己斐」が転じて「鯉」となったという説があります。プロ野球球団「広島東洋カープ」の「カープ」とは鯉の事で「鯉城」にちなんでいるそうです。

広島城天守閣
広島城天守閣

 江戸時代、浅野氏の居城であった広島城も明治以降は城内に陸軍の施設が置かれ、徐々に建築物も失われていきましたが、天守閣や、城門など、幾つかの建物は残されていました。しかし、昭和20年(1945)の原爆投下により全て焼失してしまいます。
 現在の天守閣は昭和33年(1958)に外観を復元して建てられた鉄筋コンクリートの建物で、内部は歴史博物館となっています。

広島城天守閣
広島城天守閣

広島城展示室
展示室

 天守閣の側に、かつての天守閣の礎石が移設されています。現在の天守閣が再建される際に移したものですが、所々に一段低い石が配置されています。その場所にあった石は移設されることなく、現在の天守閣の下にそのまま残されたそうで、その礎石の位置を示しているそうです。

広島城礎石
天守閣の礎石

 広島城の石垣は毛利輝元の時代と福島正則の時代で異なる積み方がされていて見比べることが出来ます。また、原爆投下の跡を残す石垣も見られます。
 広島城の北東側に崩れた石垣があります。福島正則が無断改修をとがめられ石垣を崩した跡と伝えられています。しかし改修したのは別の場所であったため結局、改易の処分が下されます。

広島城石垣
福島正則の破却石垣

 広島城の石垣には刻印が刻まれたものが多く見られます。領民や石工が紋などを刻んだものです。

広島城石垣
石垣の刻印

広島県広島市中区基町21−1
スポンサーサイト

| 江戸時代 | 06:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。