烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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広島城(二の丸)

 広島市中区基町にある広島城へやってきました。日本100名城の一つで、内堀に囲まれた本丸と二の丸と三の丸の一部が現存しています。ただし、天守閣を始め現在の建物は原爆投下により焼失し、戦後に再建されたものです。
 中国地方の覇者である毛利氏は、山城である吉田郡山城を居城としていましたが、当主の毛利輝元は豊臣秀吉により天下が平定されると政務の強化と海運にも恵まれ商業の発展も見込まれる太田川下流域へ広島城を築城し本拠地とします。
 その後、「関ケ原の戦い」により毛利輝元は減封となり広島を去ると、福島正則が広島に入り城は更に整備されています。その、福島正則が台風による水害で破壊された広島城を幕府に無断で改修したことを理由に改易となると、浅野長政の息子・浅野長晟が入城し浅野氏宗家の居城となり、明治時まで続くこととなります。

広島城
広島城

 広島城本丸は堀で囲まれていて「二の丸表御門」か「裏御門」から入ることが出来ます。「二の丸表御門」は天正期末(16世紀末)頃に建造され約350年間存続していましたが、昭和20年の原爆投下により焼失てしまいました。
 平成元年の広島城築城四百年を記念して復元に着手し、平成3年に完成しています。復元にあたり、昭和9年に当時の陸軍第五師団経理部が作成した実測図をもとに、発掘調査や明治期から昭和期にかけての写真を総合的に検討して設計。焼失後も残存した礎石の上に、昔どおりの工法によって再建され往時の姿をよみがえらせています。

広島城二の丸表御門
広島城二の丸表御門

広島城二の丸表御門
広島城二の丸表御門

広島城二の丸表御門説明板
広島城二の丸表御門説明板

 二の丸には番所があったことが残された絵図により確認されていましたが、発掘調査により場所が特定され礎石が再現されています。その奥に見えるのは太鼓楼です。

広島城二の丸番所跡
番所跡

広島県広島市中区基町21−1
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