烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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第三期本因坊戦第一局会場 藤井別邸跡

 広島平和記念資料館を訪れた目的の一つは、以前紹介した「原爆下の対局」として知られる第三期本因坊戦第二局の12日前まで行われていた第一局の会場で、当時の日本棋院広島支部長の藤井氏の別邸に関する情報を収集する事でした。
 資料館には平和公園の被爆前と被爆直後のジオラマが展示されています。現在の平和公園内にあった藤井氏別邸も再現されていると考え訪問しました。
 東京大空襲により日本棋院が焼失したため第二期本因坊橋本宇太郎七段(本因坊昭宇)へ岩本薫七段が挑戦する第三期本因坊戦は橋本本因坊の師匠である瀬越憲作八段の故郷である広島市で開催される事となり、藤井氏の別邸で開催されます。しかし、第一局が行われた昭和20年7月23・24・25日にはアメリカ軍機の機銃掃射が会場の屋根に当たる等したため、二局以降の対局は急遽、広島市内から10キロほど離れた佐伯郡五日市町吉見園(現広島市佐伯区吉見園)の中国石炭の寮に会場を移します。第二局は8月4日から三日間で行われ、その最終日8月6日に原爆が投下されたのです。爆心地から離れていた会場でも衝撃はすさまじく碁石は飛び、窓ガラスは粉々になるほどの被害を受けたといいます。対局は一時中断されますが清掃の後に再開され正午ごろに終局。橋本本因坊が勝利を収めています。
 会場を移すという判断により橋本・岩本両氏は助かったわけですが、第一局の会場は跡形もなく吹っ飛び、会場を提供した藤井支部長も亡くなっています。


藤井別邸ジオラマ1
藤井別邸ジオラマ(被爆前)…○で囲ったところ

藤井別邸ジオラマ2
被爆後の藤井別邸跡

 資料館にはジオラマ以外に被爆直後の写真も展示されていました。藤井別邸のあったところは何も残されていなくて、もし、ここで本因坊戦が続行されていたらと思うとゾッとします。

藤井別邸ジオラマ3
別角度から見た被爆前の藤井別邸

藤井別邸跡1
上記写真とほぼ同じ角度から見た藤井別邸跡の写真

 広島平和記念公園は盛土をして造成されたため、当時を偲ばせるものはほとんどありません。ただ、藤井別邸に隣接する墓地にあった墓石が一つ残されているのみです。
 藤井別邸跡は現在の「平和乃観音像」と「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の間にある、あずま屋付近にありました。

藤井別邸跡2
現在の藤井別邸跡

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 原爆下の対局1
 原爆下の対局2

広島平和記念資料館 : 広島県広島市中区中島町1-2

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