烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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樋口一葉ゆかりの法真寺

 東大赤門の道向にある法真寺は、寛永4年(1627)に徳川家康の御台所頭であった天野図書(俗称天野京太郎)が下屋敷を寄進し、開基として創建した寺院です。
 五千円札の肖像で知られる樋口一葉は明治9年(1876)、4歳から5年間、法真寺の東隣に住んでいて、その家を「桜木の宿」と名付けていました。木造倉庫もついた45坪の家だったそうで、この時期、父親の事業も順調で裕福であり、一葉の生涯で最も幸せな時代だったと言われています。
 一葉は、倉庫で本を読みふけったり、2階の窓から法真寺境内の桜や、境内に鎮座する「腰衣観音」を眺めていたそうで、後にその様子を「腰衣の観音さま、濡れ仏にておはします御肩のあたり、膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて、前に供へし樒の枝につもれるもをかしく」と「ゆく雲」の中で書いています。
 その後、樋口家は、跡継ぎの兄が亡くなり、父も事業に失敗し多額の借金を抱えたまま亡くなったため、生活は困窮することとなります。一葉は小説家として一家を支えようと努力し、森鴎外らに認められていきますが、明治29年(1896)に肺結核で24歳の生涯を閉じています。

法真寺入口
法真寺入口

本堂
本堂

樋口一葉像
樋口一葉像

入口付近にある一葉真筆のプレート
入口付近にある一葉真筆のプレート

東京都文京区本郷5丁目27-11
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| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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東京大学赤門

 東京大学本郷キャンパスの南西部、本郷通り沿いにある赤門は、正門ではありませんが、大学を象徴する建物で、東大自体が別称「赤門」と呼ばれています。
 本郷キャンパスの大部分が、江戸時代は加賀藩上屋敷で、赤門はその御守殿門でした。
 加賀藩13代藩主前田斉泰(なりやす)は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉の娘溶姫を正室に迎え、門は、その際に建立されたものです。
 当時、三位以上の大名へ将軍家から姫が嫁いだ場合、その人や居所を御守殿と称し、出入りする門は朱塗りで造られ「御守殿門」と呼ばれていたそうです。
 東大赤門は切妻造の薬医門で、左右に唐破風の番所が置かれていました。御守殿門は焼失しても再建が許されていなかったため、現存する江戸時代の貴重な建物として国の重要文化財に指定されています。

東大赤門

文京区本郷7-3-1

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西教寺表門

 文京区向丘にある西教寺は、東京都浄土真宗本願寺派の寺院で、寛永7年(1630)、 釈了賢が湯島三組町に建立。元禄2年(1689)に現在の地に移っています。場所は東京大学農学部キャンパスの隣りです。
 西教寺の表門は、井伊家と並び多くの大老を輩出した徳川家の重臣、酒井雅楽頭(姫路藩)の屋敷から明治7年(1874)移築されたものです。
 東大の赤門もそうですが、「赤門」と呼ばれる朱塗りの門は「御守殿門」といいます。御守殿(ごしゅでん)とは、三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の姫の敬称で、婚礼の際に屋敷に建てられていたそうです。
 西教寺の赤門は、11代将軍徳川家斉の25女(12代将軍徳川家慶の異母妹)である喜代姫が、江戸時代後期、酒井忠学(5代姫路藩主)に嫁いだ際に酒井家上屋敷に建立されたものです。

西教寺表門

東京都文京区向丘2丁目1-10

| 江戸時代 | 09:09 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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朝鮮ガンマン 金玉均

 囲碁史の取材で文京区向丘に行ったので、久しぶりに真浄寺にある李氏朝鮮末期の政治家、金玉均のお墓にもお参りしました。金玉均は本因坊秀栄の親友で、対立していた方円社と家元の和解に尽力するなど、日本の囲碁界にも大きな影響を与えた人物です。

真浄寺山門
真浄寺山門

 ところで、今年の3月から4月にかけて、BSジャパンで「朝鮮ガンマン」という韓国ドラマが放送されていましたが、ドラマの中に金玉均が登場していました。ストーリーは以下のとおりです。

 朝鮮王朝時代末期。日本、清、ロシア、欧米列強が押し寄せてくる中、「文明開化」を推し進める王党派と既得権益にしがみつく「反動勢力」が争いを続けていました。
 そんな中、王党派の学者たちが次々と謎の暗殺者により殺され、その真相を追っていた主人公ユンガンの父親、妹も銃弾に倒れます。
 ユンガンは謀略により謀反の罪に問われ、追われる立場に。そして、ユンガンも銃弾の餌食となります・・・。
 3年後、朝鮮の港に一人の日本人商人が降り立ちます。彼の名はハンゾウ。実は、銃弾に倒れ、姿を消したユンガンの仮の姿でした。
 ハンゾウの目的は父と妹の復讐。そんな中、かつての恋人、スインと偶然、出会い・・・。というストーリーです。

 金玉均(キム・オッキュン)は、登場シーンは多くありませんが、主人公ユンガンの命の恩人で開化派のリーダーとして登場します。物語のラストは明治17年(1884)に起きたクーデター「甲申事変」が描かれています。
 物語には出てきませんでしたがクーデターに失敗した金玉均は、日本へ亡命。10年後、上海へおびきだされ暗殺されています。

金玉均の墓
金玉均の墓

金玉均の墓
金玉均の墓

【関連記事】
 金玉均の墓 真浄寺
 金玉均と囲碁(青山霊園)

真浄寺 : 文京区向丘2-26-9

| 囲碁史あれこれ | 07:17 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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白山神社の白旗桜

 久しぶりに以前紹介した文京区の白山神社にお参りしました。中華民国を建国した革命家、孫文ゆかりの神社としても知られている神社です。
 白山神社境内の八幡神社の脇に「白旗桜」があります。永承6年(1051)、八幡太郎義家(源義家)が、奥州征伐に向かう途上にここへ立ち寄り、桜の木に源氏の白旗をかけ、戦勝祈願したことから「白旗桜」と呼ばれるようになったそうです。
 江戸時代には「江戸三名桜」のひとつに数えられ、昭和10年には国の天然記念物に指定されていましたが、その桜は枯死してしまい、現在あるものはその後継樹で、樹齢90年ほどの木だそうです。

白山神社拝殿
白山神社拝殿

孫文の碑
孫文の碑

八幡神社
八幡神社

白旗桜
白旗桜

【関連記事】 白山神社 「孫文先生座石」の碑

文京区白山5-31-26

| 歴史あれこれ | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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本念寺 蜀山人(太田南畝)の墓

 文京区白山にある本念寺の墓地内には、江戸町人文学の中心的な存在であった「蜀山人」こと大田南畝が眠っています。
 蜀山人については度々取り上げていますが、上野公園には囲碁を題材とした歌碑が建立されています。
 墓地へは寺の人に声をかけないと入れませんが、今回はご不在だったので、お墓にお参りする事が出来ませんでした。

本念寺山門
本念寺山門

本堂
本堂

現地説明板
現地説明板

【関連記事】
 囲碁を題材にした蜀山人の碑(上野公園)
 愛珠幼稚園(銅座跡)

 蜀山人終焉の地と岩崎弥之助邸跡

文京区白山4-34-7

| 江戸時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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円乗寺 八百屋お七の墓

 文京区白山にある円乗寺には、八百屋お七のお墓があります。
 お七は駒込で有数の八百屋の家で、天和2年(1682)の大火で家が焼けたため菩提寺の円乗寺に避難します。
 やがて家が再建され家に戻りますが、避難中、恋仲になった円乗寺の小姓に会いたい一心で付火をし、捕らえられたお七は、天和3年火あぶりの刑となっています。
 なお、八百屋お七の話は、歌舞伎や浄瑠璃のストーリーとして何度か造られ、お七が避難した寺も円乗寺以外に吉祥寺など複数あります。
 墓は寛政年間にお七役で名を馳せた四代目岩井半四郎によって建立されたものだそうです。

円乗寺入口
円乗寺入口

円乗寺本堂
円乗寺本堂

八百屋お七の墓
八百屋お七の墓

文京区白山1-34-6

| 江戸時代 | 10:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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アマ碁界情報

久々のアマ囲碁情報。
4月、5月で東京、神奈川、埼玉のアマ名人戦の代表が決定
(東京)村上深、山田真生   (神奈川)栗田佳樹    (埼玉)林隆羽
神奈川、埼玉はこの前まで元院生Aクラス

5月の大会
宝酒造杯東京大会   優勝 村上深
東京23区囲碁大会  優勝 世田谷区
いずみ囲碁 社会人団体戦  Aクラス優勝 5F(伊藤衆生・高成謙・伊瀬英介)

個人的にも色々出ましたが、日頃打っていないので、思いっきり格上の相手はともかく、対局不足が明らかな負け方が多かった気がします。

| 囲碁トピックス | 19:47 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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斎藤緑雨の墓 大円寺

 文京区向丘の大円寺に、明治時代の小説家、評論家の斎藤緑雨の墓があります。
 斎藤緑雨は本名は賢、三重県出身で、明治法律学校(明治大)中退後、明治17年(1884)より仮名垣魯文に師事。坪内逍遙・幸田露伴・森鴎外等と親交を結び、「油地獄」「かくれんぼ」等の作品を発表しています。一方で、辛辣な批評家としても知られ、著書に「小説八宗」「わすれ貝」等があります。
 また、樋口一葉の才能を高く評価し、樋口家を訪れて語り合うなど、一葉が亡くなるまで親交を結んでいます。
 斎藤緑雨は明治37年(1904)に、36歳で亡くなっています。

斎藤緑雨の墓

大円寺:東京都文京区向丘1-11-3

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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上村邦夫九段の墓 大円寺

大円寺山門
大円寺山門

上村邦夫九段の墓
上村邦夫九段の墓

戒名
戒名

 文京区向丘にある大円寺については、以前、「八百屋お七」ゆかりの「ほうろく地蔵」や、江戸時代末期の砲術家、高島秋帆の墓を紹介させていただきましたが、墓所には平成16年(2004)に58歳で亡くなったプロ棋士、上村邦夫九段のお墓があり今回、お参りしてきました。
 上村邦夫氏は北海道北見市出身で木谷実門下の棋士でした。昭和37年(1962)に入段を果たすと昇段を繰り返し平成3年(1991)には九段に昇段。タイトルには恵まれなかったものの、高木祥一、石田章とともに「無冠の三強」と呼ばれていました。また、昭和61年にはNHK囲碁講座講師を務めておられます。
 上村九段はお酒が大変好きで、著書「囲碁史探偵が行く」で知られる福井正明九段は飲み仲間の一人だったそうです。同期入段でもあった福井九段は現在でもよくお墓参りに行っていると聞いた事があります。
 亡くなる数年前に悪性リンパ腫を宣告され、以来、厳しい闘病生活を送りながら対局戦を続けられていたそうで、「絶局」となったのは亡くなる2ケ月前に行われた52期王座戦の本戦トーナメント一回戦。相手は依田紀基名人でした。
 病身を押して予選を勝ち上がった上村九段は、これが「絶局」となる事を悟っていたそうで、相手が名人であることを心から喜んでいたといいます。対局場には病院から痛み止めを打って駆け付けるという壮絶な対局だったと伝えられています。

【関連記事】 大円寺 「ほうろく地蔵」と「高島秋帆の墓」

大円寺:東京都文京区向丘1-11-3

| 日本棋院 | 09:53 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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