烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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岩佐銈邸跡 最後の方円社

 方円社6代目社長で、方円社を解散し日本棋院設立を成し遂げた岩佐銈(いわさ けい)の屋敷は、四谷区南寺町38にありました。現在の住所は新宿区須賀町で近岡ビルという建物が建っています。
 岩佐は、明治28年(1895)に方円社へ入社、明治30年(1897)に初段となり明治34年(1901)には四段へ昇進しています。
 明治42年(1909)に方円社を離れ石井千治、野沢竹朝とともに囲碁同志会を結成しますが、大正元年(1912年)に石井が方円社社長に就任すると岩佐も方円社へ復帰しています。大正2年(1913)には六段に昇段しました。
 大正11年(1922)の裨聖会設立に危機感を抱いた方円社と本因坊秀哉ら坊門の間で合流の機運が高まり、病床の5代目社長、広瀬平治郎に代わり岩佐は方円社副社長格として交渉し、大正12年(1923)に中央棋院が設立されます。事務所は東京駅前の丸ビルに置かれましたが、中央棋院は設立後まもなく資金面で対立し再分裂、方円社側は「方円社」を復活させ坊門側を丸ビルから締め出してしまいました。そうした混乱の中、大正13年(1923)に関東大震災が発生、丸ビルは被災者救援の拠点として使われたため方円社は四谷の岩佐邸に移転します。
 大正13年(1924)に方円社社長に就任した岩佐は、震災を機に中央棋院、裨聖会、方円社の三派合流の機運が高まる中、方円社を解散し、ついに日本棋院設立を成し遂げます。日本棋院では審査員役を務めた岩佐は昭和13年(1938)に亡くなり、昭和17年(1942)に追贈八段が贈られています。
 激動の日々を送り、最後の方円社の場所となった岩佐邸跡に行ってみましたが、当時を偲ぶものは何も残されていませんでした。

岩佐ケイ邸跡
岩佐銈邸跡

岩佐ケイ邸跡
岩佐銈邸跡

新宿区須賀町 近岡ビル
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