烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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吉田松陰を処刑した、山田浅右衛門

 四谷の勝興寺に、以前、平河町の屋敷跡を紹介した公儀御様御用(こうぎおためしごよう)山田浅右衛門の6代目吉昌と7代目吉利の墓があります。
 御様御用とは刀剣の試し斬り役の事で、罪人の死刑執行人も兼ねていたため、山田浅右衛門は首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門とも呼ばれています。
 斬首刑では、ただ首を切断するだけでは首が地面に落ちて傷ついてしまうため、首の皮一枚を残して切るという高等技術が必要であり、そのため歴代浅右衛門は門弟の中最も技量の優れた人物が後継者となってきました。

勝興寺本堂
勝興寺本堂

 6代目吉昌は下級幕臣で紅葉山御霊屋掃除役を務めていた遠藤次郎兵衛の息子で先代の跡目4人が次々と亡くなったため6代目に指名されています。吉昌は「浅右衛門」ではなく「朝右衛門」と名乗り、嘉永元年(1848)、62歳の誕生日に剃髪して松翁と名を改めています。

山田浅右衛門の墓
山田浅右衛門の墓

側面に刻まれた山田朝右衛門吉昌の名
側面に刻まれた山田朝右衛門吉昌の名

 7代目吉利は、備中新見藩士で山田家の門人であった後藤五左衛門の次男で6代目の養女と結婚し家督を相続、朝右衛門と改めます。
 吉利は試し斬り以外にも刀剣鑑定に優れ、公儀腰物拝見役を拝命しています。公儀腰物拝見役は、幕府開幕以来本阿弥家が専任してきた役で異例の出世だったそうです。
 また当時は「安政の大獄」の真っただ中であり、七代目山田朝右衛門吉利は、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎らを処刑した人物として知られています。明治2年(1869)に隠居。明治17年に72歳で亡くなっています。
 吉利の墓は勝興寺のほか港区白金2丁目の正源寺にもあります。吉利が遺言で葬式は勝興寺、遺体は実家の後藤家の菩提寺である正源寺に埋葬するようにと言残したためだそうです。

 ところで、七代目山田朝右衛門吉利は囲碁が趣味だったそうで、屋敷では度々碁会が開催され秀和や秀策が対局した記録が残されています。

七代目山田浅右衛門吉年(吉利)の名
側面に刻まれた七代目山田浅右衛門吉年(吉利)の名

山田吉昌が寄進した水桶
山田吉昌が寄進した水桶

【関連記事】 山田浅右衛門屋敷跡

勝興寺 : 東京都新宿区須賀町8
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