烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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数拳の名手 野崎車応追悼碑

 向島の三囲神社境内で、江戸時代の文人、蜀山人(太田南畝)の漢詩が刻まれた碑を見つけました。蜀山人については上野恩賜公園に囲碁と関わりのある句碑がある事を以前紹介しています。
 三囲神社の碑は文化9年(1812)に建立された野崎車応という江戸時代の数拳の名手の追悼碑で、蜀山人が詠んだ数拳の詩を引用しただけで、蜀山人と野崎は直接関係あるわけではないようです。
 数拳とは2人が互いに片手の指で数を示すと同時に双方の出した数の合計を言い、当たった方が勝ちというゲームで中国がルーツであると言われています。長崎から入ってきた遊びなので長崎拳・崎陽拳とも呼ばれ、18世紀初頭には日本に広まっていたようです。この他、拳遊びには「三すくみ拳」というゲームもありました。江戸時代には様々な流派が存在していたそうで家元制度が導入されています。現在の「じゃんけん」は数拳の手の形に三すくみ拳のルールを取り入れ考案されたと考えられています。
  碑の漢詩は「ひらく手の五ゥは勝なり梅のはな」と詠まれてていますが、「五ゥ」の「ゥ」は「五」の読みを示すふり仮名であり「うっ(打っ)」の意味だそうです。

野崎車応追悼碑
野崎車応追悼碑

説明板
説明板

【関連記事】 囲碁を題材にした蜀山人の碑(上野公園)

三囲神社:東京都墨田区向島2-5-17
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