烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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高村光雲、光太郎

 染井霊園の一画にある高村家の墓、それは高名な彫刻家・高村光雲と、その息子で詩人としても知られる高村光太郎の墓です。
嘉永5年(1852)に江戸下谷で生まれた光雲は、本名を中島幸吉といいましたが、仏師高村東雲に師事し後に東雲の姉の養子となった事から高村姓となります。西洋彫刻の写実性を取り入れ彫刻の近代化に尽した光雲は、東美校教授となり多くの後進を育成しています。代表作に上野恩賜公園の西郷隆盛像、皇居前広場の楠公像(頭部を担当)などがあります。

高村家の墓
高村家の墓

 高村光雲の子、高村光太郎は彫刻家として活躍する一方、詩人としても活動、第一詩集『道程』を刊行します。その後、妻智恵子を病で亡くし、『智恵子抄』を発表しますが、太平洋戦争を聖戦として戦争協力詩・愛国詩を発表した事に責任を感じ、戦後岩手県花巻郊外に粗末な小屋を建てて、そこで7年間移り住んでいます。光太郎は昭和31年(1956)に73歳で亡くなっています。

側面に刻まれた戒名
側面に刻まれた戒名

 染井霊園の高村家の墓の側面には戒名が刻まれていますが、調べてみると、高村光雲、光太郎親子の他に光太郎の妻、智恵子の戒名もありました。

高村光雲 : 善照院心誉勲徹光雲大居士
高村光太郎 : 光珠院殿顕誉智照居士
高村智恵子 : 遍照院念誉智光大姉

墓所の碑
墓所の碑


染井霊園:東京都豊島区駒込5-5-1  1種ロ6号1側
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