烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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松戸徳川家の墓

 染井霊園の話題に戻ります。霊園内に「松戸徳川家之墓」と刻まれた墓石があり調査してみました。
 松戸徳川家は水戸徳川家の分家で、明治維新後に最後の水戸藩主・徳川昭武が家督を先代(長兄)慶篤の遺児・篤敬に譲り、松戸(千葉県松戸市)の別邸で暮らしたことに始まります。徳川昭武は第9代水戸藩主・徳川斉昭の十八男で、第15代将軍・徳川慶喜の異母弟にあたります。兄の慶喜が当初、御三卿の一つ一橋家を継いだのと同じように、昭武は清水家を継いでいます。この時、パリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として派遣され、ヨーロッパ各国を巡っています。ヨーロッパ遊学中に将軍・慶喜が大政奉還を行い、併せて兄の水戸藩主・慶篤が死去したため、急遽帰国し水戸藩主となった昭武は、版籍奉還により水戸藩知事に就任しています。
 松戸徳川家は、昭武の実子、徳川武定が、明治25年(1892)に子爵を授爵したことで、新たに創設された華族家です。なお、徳川昭武の墓は同じ染井霊園の水戸徳川家の墓所にあるそうです。

松戸徳川家之墓
松戸徳川家之墓

 松戸徳川家の墓所に墓がある「万里小路睦子」とは徳川昭武の母親で徳川斉昭の側室。公家の万里小路建房の六女です。
 その隣りの徳川武雄は昭武の三男で早世しています。

松戸徳川家の墓所
松戸徳川家の墓所(万里小路睦子、徳川武雄)

 「斉藤八重」は徳川昭武の後妻です。ただ、昭武は隠居していたので正式には妾だったそうです。その隣りの徳川武麿は昭武の長男ですが早世しています。

松戸徳川家の墓所
松戸徳川家の墓所(斉藤八重、徳川武麿)

染井霊園:東京都豊島区駒込5-5-1 1種イ5号14側
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| 明治・大正時代 | 08:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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