烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2015年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年02月

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横浜公園

 横浜DeNAベイスターズの本拠地「横浜スタジアム」がある横浜公園は、明治9年(1876)に外国人と日本人が共同で使用する「彼我公園」として開園します。
 元々は、幕末期の横浜開港に伴い、外国人のために安政6年(1859)に開業した「港崎遊郭」があった場所でしたが、慶応2年(1867)に発生した大火で遊郭が焼失します。
 跡地は明治維新の混乱により長らく復興されませんでしたが、在留外国人の生活環境改善のために公園が整備されます。
 設計したのはイギリス人土木技師リチャード・ブラントンで、園内には野球場を兼ねたクリケット場も建設。明治29年(1896)には日本初の野球の国際試合が旧制一高ベースボール部と外人クラブとの間で行われています。
 その後、園内に建設された野球場は、昭和27年(1952)に「横浜公園平和野球場」と改称されて市民に親しまれてきましたが、老朽化のために取壊し、昭和53年(1978)に「横浜スタジアム」(通称:ハマスタ)が建設されます。そしてプロ野球球団の横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)の本拠地として使用されます。
 ところで、横浜スタジアムは外野スタンドの傾斜が急で高いことから、外野席上段でもグラウンド面が楽に見渡せることが特徴ですが、これは球場が公園内にあるために都市公園法の規制を受けて建築面積が制限されたために客席を上に積み上げた結果だそうです。

横浜公園
横浜公園。奥に横浜スタジアムがあります。

ブラントン像
ブラントン像

説明板1(遊郭時代の地図)
説明板1(遊郭時代の地図)

説明板2(開園当時の公園)
説明板2(開園当時の公園)

説明板3(大正時代の公園)
説明板3(大正時代の公園)

神奈川県横浜市中区横浜公園
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| 明治・大正時代 | 09:54 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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横浜地方・簡易裁判所(旧横浜地方裁判所)

 横浜地方検察庁の隣りに「横浜地方・簡易裁判所」があります。ここは、旧横浜地方裁判所で、旧建物は県庁と並ぶ戦前横浜の官庁建築の代表作でした。左右対称の日の字形の平面やスクラッチタイルの外壁など、昭和初期における公共建築の典型的な意匠をもっていたそうです。新庁舎の建築に伴い、低層部にその旧建物が復元されています。

横浜地方・簡易裁判所
横浜地方・簡易裁判所

現地説明板
現地説明板

神奈川県横浜市中区日本大通9

| 昭和時代 | 09:20 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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電信創業の地碑 横浜

 横浜の日本大通りにある横浜地方検察庁玄関脇に電信創業の地碑が建立されています。
 明治2年(1869)に横浜電信局と東京電信局との間で、日本で初めての電報が取扱われたそうで、碑は昭和15年に現在地から南南東約40メートルほど離れた場所に建立され、 昭和53年に移設されています。

横浜地方検察庁
横浜地方検察庁

電信創業の地碑
電信創業の地碑

横浜市中区日本大通

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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ジャックの塔 横浜市開港記念会館

 横浜市開港記念会館は、横浜開港50周年を記念し、市民有志からの寄付金により大正6年(1917)に建築されます。関東大震災により全焼しますが、昭和2年(1927)に復元されて多くの市民に親しまれてきました。
 平成元年(1989)に昭和2年の復元時に見送られたドームが再建され、国の重要文化財に指定されています。
 また、神奈川県庁本庁舎の「キングの塔」、横浜税関本関庁舎の「クイーンの塔」とともに「横浜三塔」の一つに数えられています。

横浜市開港記念会館
横浜市開港記念会館

神奈川県横浜市中区本町1丁目6

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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クイーンの塔 横浜税関

 「クイーンの塔」の愛称で親しまれている横浜税関は、旧庁舎が関東大震災で倒壊後、復興事業として昭和9年(1934)に竣工したイスラム寺院風の緑青色のドームが特徴の建物です。
 神奈川県庁の「キングの塔」、横浜市開港記念会館の「ジャックの塔」と共に、横浜三塔と呼ばれています。
 現在は税関としてだけでなく、1階に税関資料室があり、横浜税関の歴史や、ホンモノ・ニセモノコーナー、ワシントン条約コーナー、密輸の手口などが展示されています。

横浜税関
横浜税関

神奈川県横浜市 中区海岸通1−1

| 昭和時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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方円社横浜分社跡

 江戸時代に幕府の支援により発達してきた囲碁界も明治維新により後ろ盾を失いますが、こうした事態を打破しようと明治12年(1879)に創設されたのが「方円社」です。
 方円社は明治維新を迎えた世情の中、旧家元勢力を凌ぐ勢力として発展。明治18年(1885)には横浜に分社を設立しています。
 その場所は横浜市南仲通4丁目と記録されていますが、横浜は幕末に海を埋め立てて出来た土地で、明治以降もほとんど番地も変わっていない事から容易に場所を特定する事が出来ました。
 南仲通4丁目の場所は、神奈川県立歴史博物館旧館の正面玄関前の交差点から南仲通3丁目交差点までの道の両側で、この中のどこかに方円社横浜分社がありました。

横浜市南仲通4丁目
横浜市南仲通4丁目

横浜市南仲通4丁目
横浜市南仲通4丁目

| 方円社 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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神奈川県立歴史博物館

 横浜の馬車道に建っている「神奈川県立歴史博物館」は、旧横浜正金銀行本店で、明治37年(1904)に竣工。明治期を代表する洋風の歴史的建造物です。
 横浜正金銀行は昭和21年(1946)にGHQの指令によって解体・清算され東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)として生まれ変わりますが、旧本店は東京銀行横浜支店として使用。昭和39年(1964)に神奈川県が建物を買い取り、関東大震災で焼失したドーム屋根の復元を行うなどして、昭和42年(1967)に神奈川県立博物館として開館します。
 昭和44年(1969)に建物が国の重要文化財に指定され、平成7年(1995)には「神奈川県立歴史博物館」に変わり、敷地も含めた区域が明治以降の建物として初めて国の史跡に指定されています。

歴史博物館
歴史博物館

説明板
説明板

建物の装飾
建物の装飾

建物の装飾
正面玄関上の装飾。横浜正金銀行の紋章。

新館
旧館に隣接する新館

神奈川県横浜市中区南仲通5-60

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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写真師 下岡蓮杖顕彰碑

 横浜の馬車道の日本興亜馬車道ビルの道向に下岡蓮杖の顕彰碑があります。
 下岡蓮杖は長崎の上野彦馬とともに日本の商業写真師の草分けとして知られる人物で、彼の写真館がこの辺りにあったことから顕彰碑が建立されたそうです。
 下岡蓮杖は伊豆下田の出身で、初代駐日公使タウンゼント・ハリスの通訳ヒュースケンから写真の技術を学び、文久2年(1862)頃、横浜で写真館を開業します。当初は写真に写ると寿命が縮まるという迷信に惑わされ日本人客は少なかったといいますが、次第に繁盛していったそうです。

下岡蓮杖顕彰碑
下岡蓮杖顕彰碑

説明板
説明板

横浜市中区弁天通4丁目67

| 明治・大正時代 | 07:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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旧川崎銀行横浜支店(日本興亜馬車道ビル)

 横浜の馬車道に面する日本興亜馬車道ビルは、東京川崎財閥の中核銀行だった川崎銀行の横浜支店の跡地です。
 現在は高層ビルとして建て替わっていますが、歴史的建造物である大正11年に建設された、かつての建物の外壁をビルに貼りつけ保存していて当時を偲ぶことが出来ます。

日本興亜馬車道ビル
日本興亜馬車道ビル

日本興亜馬車道ビル
日本興亜馬車道ビル

現地説明板
現地説明板

横浜市中区弁天通5-70

| 明治・大正時代 | 08:41 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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日本のアイスクリーム発祥の地

 横浜市中区の馬車道の歩道に「太陽の母子」という像があります。説明板によると、ここが日本で最初にアイスクリームが製造販売された所で、像はその記念碑だそうです。
 咸臨丸でアメリカに渡った町田房蔵はアイスクリームの製造技術を習得し明治2年(1869)7月に外国人の行き交う馬車道で氷水店を開業し「あいすくりん」の名前でアイスクリームを売り出します。最初のアイスクリームは牛乳と卵、砂糖を入れた容器の周囲を塩と氷で冷やし、かくはんしてシャーベット状に固めたものだったと言われています。
 販売価格は、1杯金二分。当時の女子工員の半月分の給料に相当する高級デザートだったそうです。
 記念碑は昭和51年(1976)に日本アイスクリーム協会が建立したものです。

太陽の母子像
太陽の母子像

説明板
説明板

横浜市中区常盤町4-45

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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