烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2015年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年10月

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幸手市の本因坊烈元の墓

 埼玉県幸手市で八世本因坊伯元、九世察元の墓に続き、十世烈元の墓にも久しぶりにお参りしました。
 烈元は、従来江戸の出身と考えられていましたが、幸手市で伯元、察元の墓が発見された際、上吉羽の澤村家から墓所に「本人坊」と刻まれた墓があることが届けられ、寺の過去帳や澤村家に伝わる古文書より十世烈元が澤村家出身である事が確認されたそうです。「本人坊」と刻まれているのは、江戸時代は「本因坊」をホンニンボウと発音していたそうで、語感から人の字を当てはめたものと考えられています。
 新しい説明板には、隣りの「もよ」という人物は烈元の妻ではないかとの事ですが、巣鴨の本妙寺にある烈元の妻の戒名と違うところが気になります。

烈元の実家 澤村家の墓所
烈元の実家 澤村家の墓所

現地説明板
現地説明板

烈元の墓(左から二番目)
烈元の墓(左から二番目)

「本人坊」と刻まれた墓石
「本人坊」と刻まれた墓石

【関連記事】 十世本因坊列元の墓碑(幸手市)


埼玉県幸手市上吉羽328
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