烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2015年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2015年04月

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

夏目漱石の碑

 千代田区猿楽町の「お茶の水小学校」の校門脇に明治期の文豪・夏目漱石の碑があります。
 慶応3年(1867)に江戸の牛込で生まれた漱石は「市ヶ谷学校」を経て「お茶の水小学校」の前身である「錦華小学校」へ転校しています。
 碑は偉大な先輩である夏目漱石を顕彰して学校関係者により建立されたそうです。

御茶の水小学校校門

夏目漱石の碑


お茶の水小学校 千代田区猿楽町1-1-1
スポンサーサイト

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

太田姫稲荷神社

 昔、京都の東南、山城国の一口(いもあらい)の里に一口稲荷神社がありました。承和6年(839)に平安時代前期の官僚、学者、歌人であった小野篁(おののたかむら)が「太田姫の命」という神様に助けられ祀ったと言われる神社で、穢を洗い清めてくれるとして人々の信仰を集めてきました。
 時は流れ、室町時代中期に、関東一帯で天然痘が流行します。この時、江戸城を築城した戦国武将・太田道灌の娘も病いにかかり生死の境をさまよいます。道灌は「一口稲荷神社」の噂を聞き、姫の平癒を祈願したところ天然痘が治癒したそうで、喜んだ道灌は神社を勧請して旧江戸城内に建立したと言われます。
 徳川家康が江戸へ入府した後、慶長11年(1606)に江戸城の改築により、一口稲荷神社は江戸城外の鬼門にあたる神田川のほとり(現在の神田駿河台4丁目、聖橋南詰あたり)に移転します。
 明治5年(1872)には「太田姫稲荷神社」と改称しますが、大正12年(1923)の関東大震災で社殿が焼失してしまいます。
 神社は昭和3年(1928)に再建されましたが、昭和6年(1931)に、御茶ノ水駅の総武線拡張により、現在地へと移築されています。

太田姫稲荷神社境内
太田姫稲荷神社境内

拝殿
社殿

太田姫稲荷神社縁起
太田姫稲荷神社縁起

東京都千代田区神田駿河台1-2

| 歴史あれこれ | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

小栗上野介生誕地

 千代田区神田駿河台1丁目、甲賀坂の途中にある「YWCAビル」の一帯は、江戸末期の幕臣・小栗上野介(忠順)の屋敷跡です。上野介は、文政10年(1827)に旗本・小栗忠高の子として、ここで生まれると若くして頭角をあらわし、安政6年(1859)に目付に就任すると、翌年に日米修好通商条約批准のために渡米しています。
 帰国後は、外国奉行、勘定奉行などの要職を歴任し国内外の諸問題解決に奔走しましたが、戊辰戦争での徹底抗戦を唱えたため、のちに新政府に捕らえられ処刑されています。
 勘定奉行時代に幕府再興のために徳川家の大金を隠したという「徳川埋蔵金伝説」でも有名な人物です。

小栗上野介生誕地
小栗上野介生誕地

案内板
案内板

千代田区神田駿河台1-8

| 幕末・明治維新 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

甲賀坂

 「お茶の水仲通り」のNTT駿河台の前から、「明大通り」の明大前交差点を抜けて山の上ホテル前にいたる坂を「甲賀坂」といいます。
 江戸幕府における百人組の一つ「甲賀組」の者が多く住んでいたことから名付けられたそうです。

甲賀坂

千代田区神田駿河台一丁目

| 江戸時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

第1期初台碁聖戦

私の主催で初台囲碁クラブにおいて半年間、初台碁聖戦の予選をおこない、今日、決勝トーナメントがありました。
決勝戦は元院生の伊藤裕介さんと高卒後の中島京介さんです。結果は伊藤さんの白番中押し勝ちとなりました。
優勝 伊藤裕介   準優勝 中島京介     三位宮本舞

| アマ対局 | 22:07 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

開成学園発祥の地

 東京大学合格者数が日本一で知られる開成学園。その発祥の地の碑が千代田区神田淡路町二丁目にある複合施設ワテラスに隣接する区立淡路公園にあります。
 「開成学園」は、明治4年(1871)に幕末の進歩的な知識人であった佐野鼎によって創立されます。佐野は、欧米の教育事情を視察し、日本にも欧米なみの学校が必要であると痛感。帰国後に「共立学校」を創立します。佐野が若くして亡くなり学校は廃校同然となりますが、当時、大学予備門の教師をしていた高橋是清(後の第20代内閣総理大臣)が初代校長として就任し、今日の学園の基礎を築きます。
 その後、明治28年(1895)に、校名を「共立学校」から「開成尋常中学校」に変更。 関東大震災により校舎が焼失し、大正13年に現在の日暮里に移転しています。

新坂
ワテラスと区立淡路公園

開成学園発祥の地碑
開成学園発祥の地碑


千代田区神田淡路町2-27

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

夏目漱石ゆかりの井上眼科病院

 神田駿河台のニコライ堂の道向にある「井上眼科病院」は明治14年(1881)に東京大学医学部助教授を務めていた井上達也により創設されました。ニコライ堂が建立されるより前の事です。
 井上達也は、嘉永元年(1848)に徳島県板野郡松坂村矢武にて、漢方医として藩医を勤めていた井上肇堂の四男として生まれ、明治3年(1870)に上京して大学東校(後の東京大学医学部)に入学。外科学、解剖学、産婦人科学、眼科学を習得します。
 明治9年(1876)に東京医学校の眼科掛(医学部眼科教室の初代講座主任)、さらに医学部通学生眼科臨床教授を担当しています。
 「井上眼科病院」は、当初、「済安堂医院」と呼ばれ、井上達也は「剛膜切開法」「井上式白内障手術法の開発」わが国初の「防腐的前房洗浄法」や「井上式試視力表」などの研究を行い、世界的な眼科医として評価されます。
 明治23年(1890)には煉瓦造り4階建てで、無菌手術室、蒸気消毒室、ツァイス製角膜顕微鏡など最新設備を備えた病院を建設。当時、夏目漱石など著名人も多く通っていたといいます。
 夏目漱石はトラホームの治療で井上眼科病院に通っていましたが、親友の正岡子規に送った手紙の中に、病院で出合った女性に一目ぼれしたと書き綴っています。

井上眼科
ニコライ堂横の井上眼科病院(茶色い建物)

東京都千代田区神田駿河台4-3

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

蜀山人終焉の地と岩崎弥之助邸跡

 JR御茶ノ水駅聖橋口の斜向かいに位置する高層ビルは「御茶ノ水ソラシティ」という大型複合施設で2013年に竣工。御茶ノ水の新しいランドマークとして注目されています。元は日立製作所の本社があった場所です。
 建物手前の広場の北側(線路側)の道に面して、蜀山人終焉の地と岩崎弥之助邸跡の案内板がありました。
 蜀山人(大田南畝)は寛延2年(1749)に江戸の牛込に生まれ、勘定所の役人として大阪銅座、長崎奉行所などへ赴任する一方、狂歌師、戯作者としても活躍します。文化9年(1812)より、文政6年(1823)に75歳で亡くなるまで、この地で過ごしています。辞世の句は「生き過ぎて七十五年くいつぶし 限り知られる天地の恩」。
 岩崎弥之助は三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟で、弥太郎の跡を継ぎ二代目社長に就任します。明治7年(1874)に後藤象二郎の長女と結婚したのを機に、この場所で暮らしたそうで、二代目社長となると、組織を「三菱社」に改め多角経営に乗り出します。そして「三菱社」の本社は、この場所に置いていたそうです。三菱の本社跡が日立本社跡でもあるというのは何か変な感じですが?

solacity
御茶ノ水ソラシティ

案内板
案内板

千代田区神田駿河台四丁目6番

| 歴史あれこれ | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

「湯島聖堂」再び

 数年ぶりに「湯島聖堂」を訪れました。 「湯島聖堂」は、元禄3年(1690)に林羅山が上野忍岡(現在の上野恩賜公園)の私邸に建てた孔子廟と林家の私塾を、徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るために湯島に移転させたのが始まりで、寛政9年(1797)には林家の私塾は幕府直轄の「昌平坂学問所」となります。「昌平校」とも呼ばれた学問所は日本の学問の中心地として多くの人材を輩出してきました。
 大正11年(1922)に湯島聖堂は国の史跡に指定されますが、翌12年(1923)に関東大震災が起こり、入徳門と水屋以外、すべての建物が焼失します。現在の「大成殿」(孔子廟)は昭和10年(1935)に寛政時代の旧制を模し鉄筋コンクリート造りで再建されたものです。
 「大成殿」は土、日、,祝日のみ中が公開されています。前回は閉まっていたので今回こそはと思ったのですが、なんと、その日のみ12時までの公開となっていて、わずかの差で入ることが出来ませんでした。残念。

仰高門
仰高門

土塀
土塀

大成殿
大成殿

【関連記事】  湯島聖堂

東京都文京区湯島1−4−25

| 江戸時代 | 19:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

電子書籍第二弾 『戦国武将と囲碁』 の販売について

 ゴマブックス様の電子書籍投稿サイト「BookSpace」より私の電子書籍第二弾「戦国武将と囲碁」を発売開始しました。
 amazonとiBooksと楽天市場の電子書籍コーナーから購入する事ができます。スマホやパソコンからでも読むことが出来ます。ぜひ、ご覧ください。
 なお、 amazonからの購入については、ブログにリンクを貼り付けていますので参考にして下さい。

戦国武将と囲碁戦国武将と囲碁
(2015/03/17)
烏鷺光一

商品詳細を見る


| 日記・エッセイ・コラム | 06:18 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。