烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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高松城主・花房職秀と囲碁

 高松城は、水攻めの後に宇喜多領となり、家臣の花房正成が城主として入城します。その後、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで宇喜多秀家が西軍に味方したため改易となり、新しく徳川方に味方した花房職秀(職之)が新城主となります。職秀と正成は同じ花房氏ですが直接は関係ないようです。
 花房職秀は元々、宇喜多家の家臣でしたが秀家が重臣の長船綱直ばかりを重用することを諫言したため怒りを買い秀家に殺されそうになります。しかし、秀吉や家康の仲介で助けられ、常陸国の佐竹義宣に預けられていました。なお、この出来事は後に宇喜多氏のお家騒動の遠因となったともいわれ、宇喜多家は多くの有能な家臣が離れ弱体化することとなったとも言われています。
 この騒動で職秀の命を助けた豊臣秀吉ですが実は、それ以前に花房職秀を殺そうとした事があります。秀吉の小田原征伐に秀家に従い従軍した職秀は、石垣山城で能や茶会などを催して一向に城攻めを仕掛けない秀吉に腹を立て、石垣山城門で出会った秀吉に対し馬に乗ったまま相対したため咎められますが、「腰抜けの大将に下馬する必要はない」と言い放ちます。秀吉は激怒しますが、この時は秀家の取りなしで事なきを終え、逆に気に入られて加増されたといいます。さすが秀吉、度量が大きいというべきでしょうか。
 職秀は大阪の陣では老骨に鞭打ち、輿に乗って差配したと言われ、息子は榊原姓を名乗り徳川家の旗本に取り立てられました。
 高松城は職秀の死後、一国一城令で廃城となったと考えられています。>

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高松城址公園

 花房職秀には囲碁にまつわる話が残されています。備前国の出身であった職秀は若い頃、国元を出奔しています。それは囲碁の対局で口論となり相手を殺してしまったためと言われています。いかさまをした相手に激怒して相手を碁盤で殴り殺したとも伝わっています。曲がった事が嫌いな職秀らしいエピソードとも言えます。
 一方、八丈島に流罪となった旧主・宇喜多秀家に、毎年二十俵の米を送っていたとも言われています。
 職秀の墓は「清水宗治公自刃之跡」の供養塔がある妙玄寺にあるそうです。たしかに花房と刻まれた新しそうな墓を見かけたので、その近くにあったのかもしれませんが、取材時はそのまま通り過ぎてしまったので確認できませんでした。残念。

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高松城址公園

高松城址公園:岡山市北区高松558-2

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| 囲碁が関わった出来事 | 23:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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清水宗治公自刃之跡

 「高松城址公園」のすぐ近くにある妙玄寺境内に「清水宗治公自刃之跡」の供養塔が建っています。供養塔に向かって右側にあるのは宗治公の墓石であると伝えられています。天正10年6月4日(1582年6月23日)、豊臣秀吉による水攻めのため、宗治公は多くの家臣の命と引き換えに切腹します。切腹は小舟に乗り、船上で行われたと言われ供養塔はその場所に建っています。
 清水宗治は備中を支配した三村氏の重臣・石川氏に仕えていましたが、毛利氏が侵攻した備中兵乱では毛利方に味方し高松城主となります。以後は小早川隆景の配下として活躍。忠誠心に厚く、隆景をはじめとする毛利氏の首脳陣から深く信頼されます。城に立て籠もる宗治に対し秀吉は備中国を与えるとして寝返りを呼びかけますが宗治は拒否したと言われています。「本能寺の変」により秀吉は「中国大返し」を準備しますが、名将・宗治の最期を見届けるまではと切腹まで陣に留まっています。敵味方、双方から高く評価された人物でした。



 



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清水宗治公自刃之跡(供養塔)



 



 清水宗治公自刃之跡のすぐ近くの田んぼの中に「こうやぶ遺跡」があります。秀吉の水攻めにより高松城主清水宗治が切腹すると、何人かの家臣がこの場所で互いに刺し違えて殉死したと伝えられています。
                                                                 



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こうやぶ遺跡



 



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こうやぶ遺跡



 







岡山県岡山市北区高松



| 戦国時代 | 23:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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水攻めで有名な高松城

 岡山県の矢掛町からの帰りに岡山市北区高松にある高松城跡に寄ってみました。黒田官兵衛の策により豊臣秀吉が水攻めを行った有名な城跡です。今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」でも重要なシーンとして取り上げられていました。
 築城時期ははっきりしませんが戦国時代の備中守護代・三村氏の家臣・石川氏が築城したと言われ、三村氏が毛利氏に滅ぼされると勇将・清水宗治が城主として入ります。
 天正10年(1582)に織田信長の命で羽柴秀吉が中国攻めの先鋒を務め、高松城攻めに取りかかりますが、周囲が沼地に囲まれた高松城は難攻不落を誇っていました。そこで、低湿地帯である事を利用して水攻めが考え出されたのです。実際現地に行ってみると現在は田んぼに囲まれている城跡が低湿地帯にあった事を実感できます。
 秀吉は戦いの総仕上げとして、ここに信長を招く準備をしていましたが、その途上で信長は明智光秀の謀反により死亡。信長の死を知った秀吉軍は毛利軍に、これを秘匿したまま毛利方と和睦。城兵の命と引き替えに宗治は切腹。秀吉は「中国の大返し」により光秀を討ち果たし天下取りへの道を開いたのです。
 城跡は現在「高松城址公園」として整備されています。



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高松城跡

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現地説明板

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公園内

 本丸跡には清水宗治の首塚があります。船上で切腹した宗治は首を切られ、秀吉軍により首実検が行われますが、その後、返還され供養されています。

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清水宗治の首塚

高松城址公園:岡山市北区高松558-2 



| 戦国時代 | 23:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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吉備大臣産湯の井戸

 吉備真備公園の一画に「吉備大臣産湯の井戸」と伝えられる井戸があります。
 吉備真備公の誕生の前夜、東の空から流れ星がこの井戸に落ちたとの伝説から「星の井」とも呼ばれていたそうです。


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吉備大臣産湯の井戸



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現地説明板



 公園内にある「館祉亭」は、うどん屋さんで、安くて結構おいしいと有名な所だそうです。



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館祉亭





吉備真備公園:岡山県小田郡矢掛町東三成3872−2



| 奈良時代 | 23:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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囲碁発祥の地記念碑

 いよいよ、今回、矢掛町を訪れた理由である「囲碁発祥之地記念碑」の場所へ行ってみました。前回、訪問した時は事前リサーチ不足と時間に余裕が無かったため吉備真備像と石造りの碁盤のみ撮って帰り、碑の存在に気づいていませんでした。実は公園は真備像から向かって右側に道があって「古代オブジェ公園」へと繋がっていました。そして、その入口に「囲碁発祥之地記念碑」が建立されていたのです。



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「吉備真備公園」入口の説明板




 囲碁を日本へ伝えたと言われる吉備真備ゆかりの地に「囲碁発祥之地記念碑」が建立された訳ですが、題字は関西棋院総帥の橋本宇太郎によるものです。
 大坂出身の橋本宇太郎はタイトル戦となった本因坊戦の二期本因坊でしたが、「原爆下の対局」として有名な三期本因坊戦で、岩本薫にタイトルを奪われます。
 しかし、五期本因坊戦でタイトルを奪回、六期も防衛し「本因坊昭宇」と名乗ります。一方、日本棋院の下部組織であった関西棋院の独立を宣言。その総帥に就任し、本因坊戦は日本棋院と関西棋院の対立という構図になっていきます。七期でタイトルは失いますが、その後もトップ棋士として活躍し「十段」「名人」のタイトルを獲得し平成6年に87歳で死亡。今年に囲碁殿堂入りしています。なお、「吉備真備公園」の碑は平成2年に建立されたものです。



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囲碁発祥之地記念碑


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現地説明板


「古代オブジェ公園」には囲碁のオブジェも設置されていました。しかし、そこに描かれていたのは、なぜか黒石のみの絵でした。




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古代オブジェ公園


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囲碁のオブジェ



吉備真備公園:岡山県小田郡矢掛町東三成3872−2



| 囲碁のある風景 | 23:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「吉備真備公園」2 矢掛町

「吉備真備公園」の入口付近には吉備真備を祀る「吉備大臣宮」があります。学問に秀でていた真備公にあやかろうと、受験シーズンには多くの受験生が参拝しています。

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吉備大臣宮

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絵馬

 「吉備真備公園」の吉備真備像の脇に「吉備大臣入唐絵巻」のプレートがあります。絵巻は12世紀から13世紀初頭に造られたもので、現在、ボストン美術館が所蔵しています。
 絵巻は唐へやってきた真備の才能に恐れを感じた唐人が様々な難問を突き付け説けなければ処刑すると迫りますが、真備はそれを跳ね除け日本に帰国するという話ですが、その中に真備が囲碁の名人と対決する話があります。囲碁を知らなかった真備は安倍仲麻呂の化身である鬼から囲碁を教わり対戦します。熱戦となりますが僅かに分が悪いと感じた真備は相手の目を盗んで相手の石を一つ飲み込んで逆転勝ちします。占いによりそれを知った対戦相手は下剤を使って石を出そうとしたが真備は術を使いそれを防ぎ負けを認めさせたという話です。
 実際には真備以前に囲碁は日本に伝わっていましたが、こうした伝説により真備が日本に最初に囲碁を持ち込んだとされ、一般には真備が日本での囲碁の開祖とされています。

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絵巻のプレート

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囲碁対決の場面

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囲碁の話

 真備像に向かって右手には石で出来た碁盤がありますが、左側には日時計があります。日時計も真備が日本へ持ち込んだとされています。

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日時計

岡山県小田郡矢掛町東三成3872−2

| 本因坊登場以前の囲碁界 | 23:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「吉備真備公園」矢掛町

 7月16日のブログでお知らせしましたが、ようやく岡山と広島を訪れた時の記事  を紹介させていただきます。
 岡山県を訪れるのは約3年ぶりですが、前回、写真に撮り損ねて気になっていた場所がありまして、岡山市からは離れていますが直行することとしました。
 場所は倉敷市の隣にある矢掛町の「吉備真備公園」です。囲碁を日本に伝えたち言われる吉備真備を顕彰した公園で三年前に取材したのですが、この時に橋本宇太郎氏による「囲碁発祥之地」の碑を見落としていたため、ずっと気になっていました。

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岡山駅

 私は車を運転しないのですが、知り合いとレンタカーで移動することとしました。途中に倉敷市真備町にある、第三セクターの井原鉄道井原線の駅「吉備真備駅」に立ち寄りました。
  吉備真備の名前が付いた駅で、近くには3年前に紹介しましたが吉備真備の菩提寺と墓があります。

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吉備真備駅

 ようやく矢掛町の「吉備真備公園」に到着しました。入口には看板があり、そこに描かれた吉備真備は囲碁をしています。

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公園入口

 三年ぶりに拝見しましたが「吉備真備公園」には巨大な吉備真備像と手前に石で出来た碁盤のテーブルがあります。

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公園

 吉備真備公園の入口付近には「吉備公館址」の碑があります。この場所は土塁に囲まれた「だんのうち」と呼ばれる平地があって奈良時代の瓦片が出土しています。
 地元では「吉備公館址」と称されていて、吉備真備の出身の下道氏の館址と伝えられています。公園から少し離れた場所には下道氏の墓所があり吉備真備公の祖母の銅製骨臓器が発見されています。

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「吉備公館址」の碑

岡山県小田郡矢掛町東三成3872−2



| 本因坊登場以前の囲碁界 | 21:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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阪急囲碁まつり 女流トーナメント

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二日目は女流のトーナメント。一回戦は、奥田あや三段・下坂美織二段、二回戦が謝依旻女流名人棋聖・藤沢里菜会津中央病院杯です。それぞれ奥田、謝が勝利。二回戦で謝さんの紹介のとき、聞き手の万波さんが謝女流本因坊と言うと、すかさず「もう女流本因坊ではないです」と謝さんにつっこまれる一コマもありました。
決勝戦は謝・奥田戦、同期対決は奥田さんが制しました。奥田さん曰く「私、人生で優勝したことなかったんです」とのこと。初優勝おめでとうございます。公式戦でも女流本因坊戦で挑戦者決定戦まで勝ち上がっています。対戦相手は藤沢里菜さんです。

| 囲碁あれこれ | 07:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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阪急囲碁まつり 大会

阪急囲碁まつりでは二日間大会がありました。一日目が個人戦、二日目が団体戦です。初日は百人を超えるエントリーがあったようです。個人戦は無差別と高段、有段、級などのハンデ戦にわかれ、団体戦も大まかに段と級にクラス分けされていました。
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写真は個人戦無差別優勝の岡本幸三さん
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団体戦級クラス優勝の皆さん。私の囲碁教室の生徒さん達でした。

| 囲碁あれこれ | 08:01 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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阪急囲碁まつり 詰碁グランプリ

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張ウ九段が解説をする詰碁グランプリ。溝上八段、林七段、三谷七段が詰碁を作成し、張九段が解説と評価をするというもの。それぞれにコメントをして、林七段の詰碁を褒めた後、林七段がもう一題あるというので並べると失題(黒先白死のお題でコウの問題を出してしまう)。「これは減点ですねえ。これが無ければ林七段にポイントをあげようと思ったのですが」会場も笑い。
写真にあるのは解答が出ているものです。
張九段はこのあと世代別早碁で一力七段と対局しています。そのほかにもサイン会もあり、多くの方が張九段のサインを求めておられました。

| 囲碁あれこれ | 08:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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