烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2014年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年05月

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明治40年代の方円社大阪分社

 方円社大阪分社は何回か社屋を移転していますが、明治40年代には大川町にあったと記録されています。大川町は現在の中央区北浜4丁目で、以前紹介した淀屋橋南詰の西側にある淀屋屋敷跡のあたりになります。

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明治40年代に方円社大阪分社があった付近(淀屋屋敷跡前から撮影)

大阪市中央区北浜4丁目

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| 方円社 | 23:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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明治30年代の方円社大阪分社

 囲碁会では明治12年に村瀬秀甫や中川亀三郎、小林鉄次郎らによって「方円社」が設立されると、明治という新しい時代の波に乗って、目覚ましい発展を遂げます。
 社長の秀甫は大阪での「方円社」の勢力拡大を目指して井上門下で大阪で活躍した中川順節の弟子である泉秀節へ大阪分社設立の依頼をします。しかし、その直後に秀甫は病死したため中川や小林が改めて依頼して明治20年に念願の「方円社大阪分社」が設立されました。設立にあたり小林鉄次郎が社長、泉秀節が副社長を務めています。
「方円社大阪分社」の場所について調査したところ、明治33年発行「囲碁段級人名録」では道修町4丁目65番地と記載されていました。大阪分社は開設の二年後に泉秀節の自宅へ社屋を移したとあり、その住所と思われます。現在、道修町は3番地までしかありませんが当時の地図を見ると道修町の中で、現在の御堂筋から東側近辺が4丁目となっていました。番地まで分かっていたので、もっと絞り込もうと思ったのですが訪問までに資料が集まらなかったので特定できませんでした。おおまかに言うと御堂筋の、道修町3丁目交差点近辺にあったものと推定できます。

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道修町3丁目交差点

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交差点から東側を眺める

大阪府大阪市中央区道修町3丁目

| 方円社 | 18:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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北組惣会所跡と方円社大阪分社

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東横イン入口

 江戸時代、大阪は天満組、北組、南組の三つの区域に別れ、各組には行政の中心となる惣会所が置かれていました。惣会所では町人から選ばれた惣年寄が幕府の通達を伝達したり、税金の徴収を行っていたそうです。
 本町通から北側をエリアとした北組の惣会所は、現在の中央区平野町のホテル東横インの所にあり、惣年寄の中には大豪商・淀屋もいました。
 明治に入ると、北組惣会所があった場所には大阪を代表する料亭「堺卯」が移転してきたそうです。明治20年には8年前に東京で産声を上げた囲碁組織「方円社」が「大阪分社」を設立し、ここで発会式を行っています。ここは囲碁界とも関わり深い場所でもあるのです。


東横イン淀屋橋駅南:大阪府大阪市中央区平野町3−4−6

| 方円社 | 18:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大阪商法会議所跡

淀屋橋の近くにある三菱東京UFJ銀行に「大阪商法会議所跡」の碑があります。江戸時代には「天下の台所」と呼ばれた大阪も明治維新を迎え経済が混乱します。疲弊した大阪経済を立て直そうと明治11年に造られたのが「大阪商法会議所」で、初代会頭に五代友厚が就任します。その後、「大阪商法会議所」は「大阪商工会議所」へと変わり現在に至っています。



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大阪商法会議所跡



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中央区高麓橋三丁目6 三菱東京UFJ銀行

| 明治・大正時代 | 21:33 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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淀屋の屋敷跡

 御堂筋で中之島へ渡るために土佐堀川に架かる橋を淀屋橋といいます。橋名の由来は、かつて、江戸時代の豪商・淀屋の屋敷が橋の南詰西側にあり米蔵の並ぶ中之島へ渡るために淀屋が架けたことに由来します。
 淀屋は、豊臣秀吉による伏見城築城や淀川の築堤工事を請負い財をなします。その後大坂の陣では徳川方に協力し、江戸時代に入り米市を開き、また金融業や廻漕業を営むなど経営の多角化をはかり、巨万の富を築きます。
 淀屋の屋敷は百間四方(約33,000平方キロメートル)の広さで、当時、貴重なガラスを多用した豪華な建物だったそうです。しかし、宝永2年(1705)5代目辰五郎のときに町人の身分を越える贅沢な暮らしぶりとされ、幕府により全財産を没収、所払の処分を受けます。これは各大名たちが淀屋に多額の借金をしていたため、それを踏み倒す目的で仕組まれたとも言われています。



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淀屋橋



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淀屋屋敷跡



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淀屋の碑





大阪市中央区北浜四丁目 淀屋橋南詰西側

| 江戸時代 | 06:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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御堂筋

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御堂筋



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御堂筋完成五十周年記念碑


御堂筋は、大阪市の中心部を南北に縦断する国道で大阪を代表する通りです。歴史上登場するのは「大阪の陣」の頃からだそうですが、現在のように発展したのは大正15年(1926)から地下鉄御堂筋線建設と合わせて拡幅工事が行われて以降のことです。



「御堂筋完成五十周年記念碑」:大阪府大阪市中央区高麗橋



| 歴史あれこれ | 14:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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愛珠幼稚園(銅座跡)

緒方洪庵が開いた適塾の裏側にある「愛珠幼稚園」は明治13年(1880)に開園した、現存する幼稚園としては大阪府内で最も古く、全国でも2番目に古い幼稚園だそうです。現在の園舎は明治34年(1901)に竣工した御殿風の和風建築物で、現存する幼稚園園舎としては日本最古のものです。平成19年には岡山県岡山市立旭東幼稚園旧園舎とともに、幼稚園の園舎として日本初の国の重要文化財に指定されました。
「愛珠幼稚園」の入口には「銅座の跡」の碑が建立されています。江戸時代には、ここに銅の取引を管理する「銅座」があったそうです。享和元年(1801)には御家人で天明期を代表する文人・狂歌師であった蜀山人(大田南畝)が赴任していたとの記録があります。



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大阪府大阪市中央区今橋3丁目1−11



 

| 明治・大正時代 | 19:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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適塾 緒方洪庵

 幕末の蘭学者、そして医者としても知られる緒方洪庵が大坂で開いた私塾が「適塾」です。現存する建物を見ようと訪れたのですが、生憎、耐震工事のために休館中でした。
 備中国足守藩下級藩士の子として生まれた洪庵は幼いときから体が弱く、それゆえに医者を志します。大坂蔵屋敷留守居役となった父と共に大坂に出て、医学を中心とした蘭学を学び、その後、長崎にて医学を本格的に学んだ後に、天保9年(1838)に大阪で開業。そして、私塾「適塾」を開きました。
 適塾では福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎など幕末から明治にかけて活躍した多くの門下生が学んでいます。
 しかし、文久2年(1862)に洪庵は、幕府の度重なる要請により、奥医師兼西洋医学所頭取として江戸に出ます。そこで、「適塾」は洪庵の養子・緒方拙斎が運営しますが江戸で洪庵が亡くなったため数年後の明治元年(1868)に閉鎖されました。
 後に洪庵の息子を医院長として医学校が設立され、それが大阪大学医学部となった事から「適塾」は大阪大学医学部の前身とされ、現存する建物も大学が管理しています。



 



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工事中の適塾



 



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緒方洪庵像



 



大阪市中央区北浜3丁目3番8号



| 幕末・明治維新 | 21:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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関西棋院

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関西棋院

大阪に行ったので関西棋院に寄って(前を通って?)きました。今、囲碁界では関西が熱い。結城十段や坂井八段、村川七段などが在籍しています。
ちなみに日本棋院関西総本部は梅田にあります。六冠の井山さんはこちらですね。



 



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入口に設置された詰碁
 



 



大阪市中央区北浜二丁目1番23号

| 囲碁あれこれ | 08:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大阪俵物会所跡

 江戸時代には、金・銀・銅などの売買は幕府の厳しい統制化におかれ、会所において特定の商人によって売買が行われていました。
 俵物(たわらもの)と呼ばれる、ふかひれや干なまこ、干あわびなども同様で、江戸時代の日本の重要な特産品として、長崎を通じて中国など海外へ輸出されています。この俵物は輸出入の代価に用いられることもあり、延享元年(1744)に大阪に会所が設けられています。会所は当初、備後町にありましたが、安永6(1777)に北浜2丁目へ移転し、明治まで続いています。




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大阪俵物会所跡




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現地説明板





大阪府中央区北浜二丁目2-15



| 江戸時代 | 05:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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