烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2014年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年03月

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鶴岡八幡宮 呉・木谷鎌倉十番碁

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鶴岡八幡宮は鎌倉の有名な観光スポットですが、囲碁界でも呉・木谷鎌倉十番碁の対局地でもあります。呉清源・木谷実の十番碁は有名で、映画にもありました。
 十番碁は鎌倉のいくつかの寺院で行われ、鶴岡八幡宮もそのひとつです。鎌倉十番碁の中では円覚寺、建長寺が有名で、映画のシーンなどで使用されたのもそれらのものです。私も円覚寺、建長寺で行われていたのは知っていたのですが、鶴岡八幡宮もそうだったのかと調べていてわかりました。

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| 日本棋院 | 19:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鶴岡八幡宮 2

 鎌倉の鶴岡八幡宮境内の本宮へ上がる石段の脇に、かつて樹齢千年を越すといわれた大銀杏がありました。建保7年(1219)鎌倉幕府二代将軍・源頼家の子である公暁がこの銀杏の木に隠れて待ち伏せし、三代将軍・源実朝を殺害したという伝説があります。
 大銀杏は神社のシンボルでしたが平成22年に強風のため倒壊します。倒れた大銀杏は3つに切断され、根元の部分が、7メートル離れた場所に埋められていますので、かつての大きさを偲ぶことができます。現在、切られた幹から成長したひこばえ(新芽)が育てられ関係者により復活の取り組みが行われているそうです。



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現在の大銀杏


 旗上弁天社は源氏池の島に鎮座しています。明治の神仏分離令で一度は廃れますが、昭和55年に文政年間の古図を元とし復元されました。
 旗上弁天社の裏に「政子石」と呼ばれる霊石があります。源頼朝が北条政子の安産を祈ったとされる石で、古来より縁結び、夫婦円満にご利益があるとして信仰されてきました。


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旗上弁天社


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政子石



神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1番31号



| 鎌倉時代 | 23:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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鶴岡八幡宮 1

鶴岡八幡宮は、神奈川県鎌倉市にある神社で、別名、鎌倉八幡宮とも呼ばれています。源氏の守護神。鎌倉幕府を開いた源頼朝ゆかりの神社として知られています。

                     
 境内にある池は「源平池」と呼ばれ、頼朝が妻政子の安産祈願のために造営したと伝わっています。池を渡る「太鼓橋」は現在は石造ですが、最初は木造で朱塗りの橋であったため「赤橋」と呼ばれていたそうです。




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参道。源平池を渡る太鼓橋




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源平池



 「舞殿」は、「下拝殿」とも呼ばれ、現在の朱塗りの建物は21世紀に入ってから増築されたもので、当初は白木造りだったそうです。
 頼朝の時代には、まだ「舞殿」は造営されてなく、当時は若宮社殿の回廊があったそうです。そして、ここで頼朝の求めに応じて源義経の愛妾静御前が義経を慕いながら舞ったとの伝承が残されています。




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舞殿




 本宮(上宮)は文政11年(1828)に徳川家斉が再建した流権現造で、国の重要文化財に指定されています。
 若宮(下宮)は頼朝が最初に神社を造営した場所と伝えられ、現在の若宮は、江戸幕府二代将軍徳川秀忠による造営と言われて本宮とともに国の重要文化財に指定されています。



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本宮(上宮)




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若宮(下宮)




神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1番31号



| 鎌倉時代 | 23:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ジャンボ囲碁大会

 日付が変わってしまいましたが、日本棋院にてジャンボ囲碁大会がありました。多岐技会から4チームが出場しました。私も参加したかったのですが、仕事と重なり終了後の懇親会だけ参加ということに。
 結果は多岐技会(Aチーム)が7位、初台囲碁クラブが(Bチーム)が4位ということになりました。

| 囲碁あれこれ | 00:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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田河水泡・のらくろ館

 人気漫画「のらくろ」の作者・田河水泡が幼少期から青年期にかけて過ごした東京都江東区森下の高橋商店街は「のらくろード」として、のらくろをキーワードに地域興しを行っています。
 その一画にある森下文化センター内に「田河水泡・のらくろ館」があり水泡の、作品や書斎机などの遺品が展示されています。
 「のらくろ」は黒い犬のキャラクターで、連載が開始されたのは、昭和6年。10年におよぶ長期連載でしたが戦時中に漫画とは不謹慎であるとして昭和16年に一旦打ち切られますが、戦後に再開されています。誕生から80年以上たった現在でもキャラクター商品が販売され根強い人気があります。



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商店街



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森下文化センター(のらくろ館)



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のらくろ館入口



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展示物




森下文化センター:東京都江東区森下3丁目12−17


| 昭和時代 | 23:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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伊東深水誕生の地

 深川発祥の地である「深川神明宮」の入口付近に、大正・昭和期に活躍した日本画家、伊東深水誕生の地の説明板があります。
 伊東深水は明治31年に、ここ「深川神明宮」の門前で生まれたそうです。深水は歌川派浮世絵の正統を継ぎ、日本画独特のやわらかな表現による美人画を得意としました。また、タレントの朝丘雪路の実父としても知られています。



                 
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深川神明宮前の説明板



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現地説明板



深川神明宮:東京都江東区森下1-3-17


| 昭和時代 | 23:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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深川発祥の地 深川神明宮

 「深川神明宮」は東京の下町である「深川」の発祥の地として知られています。
 徳川家康が関東入国から間もない慶長元年(1596)、この一帯を巡視した折、深川八郎右衛門という人物を召し出します。当時、深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人も少なく、八郎右衛門は一族を引き連れて移り住み、土地の開拓に着手していたそうです。
 家康公は八郎右衛門に、この場所の地名を訪ねますが、八郎右衛門は「まだ住む人も少なく、地名もありません」と答えると、家康公は八郎右衛門の姓「深川」を採って「深川村」とするよう命じました。そして、開拓の功績により八郎右衛門は深川村の名主となります。
 深川八郎右衛門は屋敷の一角に伊勢神宮の御分霊を祀り、開拓民の幸福と当地の発展を祈願していたそうで、それが「深川神明宮」の始まりだそうです。




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入口の鳥居




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拝殿




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由来碑





東京都江東区森下1-3-17

| 戦国時代 | 23:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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芭蕉は碁を打ったか

 囲碁史会の会員で先日も会報に論文を投稿された長野県在住の中田敬三氏の著作に「芭蕉は碁を打ったか―囲碁史論考―」というのがあります。中田氏の囲碁史に関する研究が書かれています。芭蕉はタイトルと、一つの論考であって一冊すべてが芭蕉のことではありません。
 幻の本因坊免状から信州のことが記されています。中田氏はその他にも地元である信州の囲碁史研究の著作が多く、とても参考になります。
 いずれは長野県にも取材にいかなければならないと思っています。

| 囲碁史会 | 07:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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江東区芭蕉記念館

 松尾芭蕉が住んでいた芭蕉庵跡である芭蕉稲荷神社の近くに、芭蕉に関する資料を集めた「江東区芭蕉記念館」があります。
 芭蕉庵跡から発見された物など、貴重な資料が展示されています。館内は撮影禁止でしたので庭のみ撮影しました。



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芭蕉記念館入口



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芭蕉庵を模したほこらと芭蕉像



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句碑




東京都江東区常盤1‐6‐3



| 江戸時代 | 19:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旧新大橋跡

 松尾芭蕉が暮らしていた「芭蕉庵」跡である芭蕉稲荷神社から、江東区芭蕉記念館へ向かう途中、萬年橋北交差点付近に「旧新大橋跡」の碑がありました。
 旧新大橋は元禄6年(1693)12月に、この地の先の墨田川で架設工事が始まり52日間で完成した橋で、当時、両国橋を「大橋」と称していたので、それに対して「新大橋」と名付けられたそうです。近くの芭蕉庵に住んでいた松尾芭蕉は新大橋の工事中
                   
 「初雪や かけかかりたる 橋の上」
              
        という句を詠んでいます。また橋の完成後には
               
 「ありがたや いただいて踏む 橋の霜」
                
        という句を詠んでいます。




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東京都江東区常盤1-6-8先

| 江戸時代 | 20:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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