烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2013年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年02月

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村田春海の墓 本誓寺

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 深川にある本誓寺の墓所に江戸時代中期の国学者で歌人でもある村田春海の墓があります。
 春海は、延享3年(1746)に日本橋小舟町で豪商・村田春道の次男として生まれます。やがて、国学者で歌人でもあった賀茂真淵の門人となります。仮名遣いや五十音の研究に造詣が深く、歌人としては加藤千陰とともに江戸派歌人の双璧をなし、幕府老中も勤めた白河藩主・松平定信の庇護を受けています。
 「琴後集」「歌かたり」「和学大概」など多数の著書を書き著し、文化8年(1811)に66歳で亡くなっています。




江東区清澄3-4-23



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| 江戸時代 | 06:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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深川本誓寺 石造迦楼羅立像

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本誓寺




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石造迦楼羅立像




 深川にある本誓寺は、小田原本誓寺六世の文賀が、文禄四年(1595)に八重洲河岸に創建します。、太田道灌の子孫・英勝院が開基となったといわれています。慶長11年(1606)には馬喰町上町へ、天和2年(1682)に現在地の深川に移転しました。
 境内にある「石造迦楼羅立像」は、朝鮮・高麗時代の作と推定されていますが、日本へ来た経緯や時期は不明です。区の文化財に指定されています。迦楼羅(カルラ)とはインド神話に出てくる霊鳥でガルダあるいはガルーダとも呼ばれています。龍を食べ、金色の翼を広げると336万里(1344万km)もある大鳥で、仏教では仏法を守護し、災害や疫病を除くといわれ、文殊菩薩の化身ともいわれています。




江東区清澄3-4-23







| 戦国時代 | 07:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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紀伊国屋文左衛門の墓

 元禄期の豪商として知られる紀伊国屋文左衛門の墓が、江東区深川にあります。墓所の正面に紀伊国屋文左衛門の大きな顕彰碑があり、それが墓なのかと思ってしまいますが、文左衛門の墓は、その左手にある小さな墓です。
 紀伊国屋文左衛門は、紀州湯浅(和歌山県有田郡湯浅町)の出身で、紀州みかんを江戸に運び、帰りに江戸から塩鮭を上方に運んで富を築いたと言われています。その後、材木商を営み、寛永寺の根本中堂の用材調達を請負、巨利を得たそうです。吉原での豪遊の逸話も残されています。
 晩年は材木商は廃業し、深川八幡で過ごし、66歳で死去します。紀伊国屋は2代目が跡を継ぎますが衰退しています。 

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紀伊国屋文左衛門の顕彰碑

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顕彰碑の脇にある文左衛門の墓

 現在、墓は立入禁止になっていましたが、墓地の入口の石柱には「紀文会」と刻まれ多くの衆議院議員の名前がありました。昭和30年代に建てられたようで入口に向かって右側二つ目の石柱には「浅沼稲次郎」と刻まれていました。浅沼は日本社会党(現社会民主党)の委員長を務め安保闘争の先頭に立ち、1960年、当時の岸信介内閣を総辞職に追い込みますが、同年に行われる総選挙に向けた各党党首の立会演説会で演説中、右翼により刺殺されています。 

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立入禁止中の入口


江東区三好1-6-13



| 江戸時代 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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出世不動尊

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 深川の霊厳寺の道向に「出世不動尊」があります。
 現在の「出世不動尊」は、昭和3年(1928)に長専院に不動寺が合併して出来た寺院です。
 長専院は德川四天王の一人榊原忠次の開基で霊巌島に創建されますが、万治元年(1658)に明暦の大火により霊巌寺と共に移転してきます。
 不動寺は、近江三井寺の不動堂住職期妙の夢の中に不動尊像が現れて、江戸に連れて行くようにとお告げがあり、建設中の霊巌寺に、お堂を建てたところ工事が順調に進んだことから、「出世不動」と名付けられたそうです。



 



江東区三好1-6-3



          








| 東京散歩 | 20:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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度会園女の墓 雄松院

 江東区白河の霊厳寺の西側にある雄松院に松尾芭蕉門下の女流俳人・度会園女の墓があります。
 園女は眼科医で俳人の斯波一有の妻で、大坂にて夫妻で医業を営んでいました。園女は俳句を芭蕉に学び、元禄7年に芭蕉が大坂に赴いた際、園女の宅で発病し死去したそうです。
 園女は夫の死後江戸に移住し富岡八幡宮の前で眼科医をしていたそうです。園女は富岡八幡宮へ36本の桜を寄進。桜は「歌仙桜」と呼ばれ名所となります。
 園女は享保11年(1727)に63歳で死去し雄松院に葬られました。





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雄松院


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度会園女の墓




江東区白河1-1-8



 

| 江戸時代 | 09:59 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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井山七冠ならず

 囲碁界の話題はどうしても井山さんになってしまいます。特に七冠達成なるかということに注目が集まっています。昨日おこなわれた十段戦挑戦者決定戦で高尾九段に勝てば七冠の道が見えてきます。
 昨日の結果は高尾九段が勝ち、井山さんの七冠はなりませんでした。

| プロ対局 | 08:23 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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松尾芭蕉の句碑 深川江戸資料館

 深川江戸資料館には展示室に江戸時代の町並みが再現されていますが、その一画に松尾芭蕉の有名な「古池や蛙飛び込む水の音」という句碑がありました。
 芭蕉は深川界隈に住んでいたそうで、資料館の碑はそれにちなんで新たに造られたものかと思ったら、製作年代は分かりませんが古くからあった碑が寄贈されたものだそうです。



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東京都江東区白河一丁目3-28



| 江戸時代 | 20:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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深川江戸資料館

 江東区立「深川江戸資料館」は、江戸時代の深川佐賀町の町並みを再現した展示室のほか、小劇場などを備えた文化施設です。再現された町並みは実物大の大がかりなもので、当時の様子を偲ぶことが出来ます。



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入口(左)と館内の様子



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再現された江戸の町並み



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江戸時代の天ぷら屋





東京都江東区白河一丁目3-28



| 江戸時代 | 20:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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霊厳寺 松平定信の墓

 東京都江東区にある霊厳寺は、寛永元年(1624)に日本橋付近の霊巌島に創建され、明暦3年(1657)に江戸の大半を焼失した明暦の大火により焼失。万治元年(1658)に現在地に移転しています。

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霊厳寺境内

 霊厳寺は「寛政の改革」で有名な松平定信の墓所としても知られています。定信は宝暦8年(1758)に、御三卿の田安徳川家の初代当主・徳川宗武の7男として生まれます。つまり、八代将軍・徳川吉宗の孫にあたる人物です。
 幼少期より聡明で知られ、田安家を継いだ兄の治察が病弱だったため、一時期は田安家の後継者、そして第10代将軍・徳川家治の後継と目されていたそうです。しかし、当時、幕閣を仕切っていた田沼意次の政治を「賄賂政治」と批判していたため、安永3年(1774)に久松松平家の庶流で陸奥白河藩第2代藩主・松平定邦の養子に出され将軍候補から外されてしまいます。その後、田安家では治察の死去により後継が不在となりますが定信の復帰は許されず、田安家は十数年にわたり当主不在となっています。
 こうして白河藩主となった定信は天明の飢饉を藩政改革で乗り切り、その手腕も評価され、田沼意次が失脚した後の天明7年(1787)に老中首座へ就任します。
 老中首座となった定信は、旧田沼派を粛清し、祖父・吉宗の「享保の改革」を手本に「寛政の改革」を実施し、幕政再建に取り組みます。田沼意次は重商主義の政策をとったため利権政治となった事から、定信は朱子学に基づき、厳しい倹約政策、役人の賄賂人事の廃止を徹底します。そのため「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」などと揶揄されています。そうした厳しさから、やがて孤立して定信は失脚。その後、藩政に専念し文政12年(1829)に72歳で亡くなっています。

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松平定信の墓

 霊厳寺には宝永から享保年間にかけて江戸市中の六箇所に造立された銅造地蔵菩薩坐像「江戸六地蔵」のひとつがあります。霊厳寺の地蔵は大五番目で、享保二年(1717)に建立されています。

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銅造地蔵菩薩坐像


東京都江東区白河1-3-32


| 江戸時代 | 22:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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囲碁史叢書1 本因坊算砂研究

 古碁大成(棋譜集)と並行して囲碁史叢書(囲碁史資料集)も出させていただくことになりました。こちらはこれまでの囲碁史の研究をまとめたもので、多くの資料と考察を掲載しています。
 第一弾が初代本因坊算砂です。算砂の人物から、書簡、記録等を掲載しています。囲碁史に興味のある方、囲碁はやるけど歴史までは知らなかったという方に読んで頂ければ幸いです。さらには歴史好きの方でも囲碁に興味を持っていただければ嬉しいです。
 こちらも古碁大成同様に特設ページを設けます。

San10021912

| 囲碁史あれこれ | 09:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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