烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2013年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年01月

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本因坊秀栄の屋敷跡

 湯島天神の近くに十七世、十九世本因坊秀栄が晩年を過ごした屋敷跡があります。
 十四世本因坊秀和の次男として生まれた秀栄は11歳の時、囲碁家元の林家の養子となり、やがて十三世林秀栄となります。
 明治維新を迎え各家元への幕府の支援が無くなると、過酷な生活により本因坊家を継いだ兄の十五世本因坊秀悦が精神に異常をきたします。そこで、弟の秀元を十六世としますが、まだ段位が低かったため、村瀬秀甫や中川亀三郎らにより組織された「方円社」の勢いに押され、囲碁家元側は益々、勢いを失っていきます。
 秀栄は事態を打開しようと、林家を絶家して本因坊家へ戻り、十七世本因坊秀栄となります。その後、方円社社長の村瀬秀甫と和解し、秀甫が十八世本因坊となりますが、秀甫の死亡により秀栄が十九世本因坊を再襲しました。
 本因坊家を再襲した秀栄は棋力も充実し、坊家は方円社を凌ぐ勢いとなり、方円社からも多くの人材が移りました。
 湯島天神の近くにある屋敷は、そうした絶頂期に秀栄の支援者であった高田商会の高田槙蔵・民子夫妻より提供されたものだそうです。秀栄の屋敷や、すぐ近くにある高田夫妻の屋敷では三段以上を参加資格とした研究会「四象会」が定例的に開かれています。
 秀栄は後継者を決めずに亡くなっています。門下で一番の実力者は、元方円社社員であった田村保寿でしたが、秀栄は田村のことを金銭に汚いなどの理由で嫌っていたためで、明治39年(1906)の秋から寝込みがちになると、田村を露骨に嫌うようになり、面会も許さなくなります。田村は翌年に、方円社の中川亀三郎との打ち掛けの碁の講評を仰ぐ形で秀栄へ手紙を出しています。しかし、実際には方円社に対して前面に出て対してきた自分を見限ろうとしていることを暗に非難する内容でした。秀栄は、その十日後に後継を定めないまま亡くなります。
 今回、探し出した秀栄の屋敷跡は田村保寿(本因坊秀哉)が師匠へ出した手紙に記載された住所により特定したものです。同じく、当時の田村の屋敷跡の場所も特定していますので、いずれ取材したいと思います。



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本因坊秀栄屋敷跡(白いマンションの辺り)




田村保寿が秀栄に出した手紙に記された住所
 「湯島天神町1丁目77」
 現住所:湯島3丁目22-5 シルクマンション野口



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| 本因坊家 | 21:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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中坂(湯島)

湯島天神の南側、湯島中坂上交差点から湯島駅へ下る坂を「中坂」といいます。江戸(東京)は坂の多い都市ですが、従来あった坂と坂を結ぶために作られた坂は中坂、あるいは新坂と呼ばれたそうで、湯島の中坂も妻恋坂と天神石坂を結んでいた坂だそうです。



            
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中坂



 



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現地説明板



 



都京都湯島3-19と21の間

| 東京散歩 | 18:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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湯島天神の碑2

 湯島天神の銅製の表鳥居は寛文7年(1667)9月創建され、寛文11年(1671)に修理した銘があります。下脚部に唐獅子頭部の装飾があり鳥居としては特異なものです。



 



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表鳥居



 



 神社境内の梅園にある「菅家遺戒碑」は湯島天神に祀られている菅原道真公が残したとされる公家の家訓をまとめた書の一節ですが、現在では後の世に作られた偽物であると考えられています。



 



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菅家遺戒碑



 



 「菅家遺戒碑」の隣りにある「奇縁氷人石」は迷子を捜すために建てられた石です。石碑の右側には訪ねる人を。左側には教える人の情報が張られていたそうです。人の集まる場所に建てられ全国各地で見られます。



 



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奇縁氷人石



 



 湯島天神には、ここを舞台にした小説「婦系図」の作者、泉鏡花による筆塚が建立されています。



 



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筆塚



 



 湯島天神境内にある日時計はかつて都内にあった鍛冶橋の欄干を軸に奉納されたもので、御参拝の人々から親しまれてきました。
                       しかし、戦後、永い間忘れ去られていましたが、スイス・プドー日本総代理店酒田時計貿易株式会社の協力により、水平式日時計として復元されました。



 



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日時計



 







湯島天神:東京都文京区湯島3−30−1



| 東京散歩 | 20:20 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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湯島天神の碑1

 文京区湯島にある湯島天神は古来から江戸(東京)を代表する天満宮として人々の崇敬を集めてこました。また、多くの人々が集まることから境内には様々な顕彰碑が建立されています。



                 
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社殿



 



 文具至宝碑は、中国より渡来した紙筆墨硯が文房四宝と称され寺子屋や明治の学制発布により高い文化を育てる文具として大きく貢献をしてきたことや、戦後の日本国の飛躍的な復興を成し遂げた教育に文房具が大きく貢献した事から十一月三日 ( 文化の日 ) を文具の日と定め平成元年に学問の神さまである菅原道真を祀る湯島天神に「文具至宝碑」が建立されました。



 




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文具至宝碑



 



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現地説明板



 



 明治21年(1888)に始まった演劇の一派「新派」の碑も湯島天神の境内にあります。泉鏡花の「夫婦系図」、徳富蘆花の「不如帰」、尾崎紅葉の「金色夜叉」など有名な作品が演じられ、有名な俳優を輩出しています。



 



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新派の碑



 



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現地説明板



 



湯島天神:東京都文京区湯島3−30−1



| 東京散歩 | 20:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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湯島天神のガス灯と切通坂

 久しぶりに「湯島天神」を訪れました。北側の春日通りに面する「夫婦坂」と呼ばれる石段より入りました。



               
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湯島天神




ところで、夫婦坂の石段の横に「切通坂」の説明用のプレートがあります。神社入口の春日通りは坂道になっていて「切通坂」と呼ばれています。江戸時代に湯島天神と根生院との間を切り開いて作られた坂で明治期には電車が通っていたそうです。詩人の石川啄木は勤務先の朝日新聞社での夜勤のあと、ここを通って帰宅していたそうで、「二晩おきに、夜の一時頃に切通の坂を上りしも勤めなればかな。」(悲しき玩具より)と詠んでいます。




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切通坂


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案内板




 湯島天神の境内にはかつて5基のガス燈がありました。泉鏡花が明治40年に発表した「婦系図」が、舞台化され人気となりますが、主人公の早瀬主税が、結婚者のお蔦に別れを告げるシーンで、お蔦を呼び出すのが、この湯島天神の境内でした。昭和17年に長谷川一夫と山田五十鈴で映画化され。その主題歌「湯島の白梅」の2番には「青いガス灯 境内を出れば本郷 切通し」と歌われ、切通坂の名前とガス灯は日本全国に知られることとなりました。
 ガス灯は昭和40年頃にすべて撤去されましたが、昭和56年に1基のみ復活させています。




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湯島天神境内のガス灯




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ガス灯案内板



湯島天神:東京都文京区湯島3−30−1



| 明治・大正時代 | 09:33 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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多岐技会忘年碁会

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 先日、多岐技会の忘年碁会がありました。ペア碁をすることが最近では恒例となっているようです。一回戦ごとにペアを替え、基本は勝ち同士負け同士でペアを組みます。
 四回戦を行うのですが、三回戦に勝ったペアが最後は敵同士になるのです。個人で全勝は堀金秀輝さん一人となりました。最後は今年の反省と来年の抱負を全員が述べました。

| 囲碁あれこれ | 23:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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無縁坂

 シンガーソングライターのさだまさしさんが、フォークデュオ「グレープ」時代の1975年に作詞・作曲しヒットした曲「無縁坂」は実在する坂の名前です。
 場所は「旧岩崎邸庭園」の北側に沿った坂道で台東区池之端1丁目の不忍池から文京区湯島4丁目の東京大学へ突き当たる坂です。坂の途中にある講安寺は昔、無縁寺と呼ばれていたそうで、坂の名前はそこからきています。
 サビの部分で「忍ぶ 不忍 無縁坂」という歌詞がありますが、心情に坂の場所を上手く掛けた歌詞だったのです。



                          
             
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無縁坂
。左の塀が「旧岩崎邸庭園」

| 東京散歩 | 19:36 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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旧岩崎邸庭園

 台東区池之端にある「旧岩崎邸庭園」は明治29年(1896)に三菱の創業者・岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長・久彌の本邸として造てられました。当時は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並ぶ壮大な屋敷でしたが、現在残っているのは3分の1の敷地に、洋館・撞球室(ビリヤード場)・和館の3棟だけで、国の重要文化財に指定されています。木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館を設計した事で知られる英国人ジョサイア・コンドルによる設計で近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。テレビドラマでもしばしばロケ地として使われ見かけることがあります。




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洋館(前面)



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洋館(側面)



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撞球室(ビリヤード場)



 三菱といえば有名なスリーダイヤのシンボルマークを思い浮かべますが、庭園の入口の塀にはひし形を三つ重ねた家紋を洋風にアレンジしたシンボルが使われていました。
 これは、岩崎家の家紋「三階菱」だそうです。三菱のマークは「三階菱」をバラして、主君であった土佐藩主山内家の家紋「三つ柏」を参考に三方向へ配置して作られたそうです。



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岩崎家家紋




東京都台東区池之端一丁目3番45号

| 明治・大正時代 | 19:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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横山大観記念館

 上野池之端に近代日本画壇の巨匠・横山大観の資料を集めた「横山大観記念館」があります。大観が晩年過ごした屋敷を、そのまま記念館にしています。
 大観がこの地に居をかまえたのは明治42年のことです。昭和20年の空襲で建屋が焼失しますが、昭和29年に新居が再建されました。その後、90歳で没するまで、大観はここで多くの作品を制作しています。
 収蔵されているのは、大観の絵画作品・習作・スケッチをはじめ、陶磁器の絵付け、着物の意匠など多岐にわたっています。



 



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記念館入口



 



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記念館入口にある顕彰碑



 



東京都台東区池之端1丁目4−24



| 東京散歩 | 07:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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日暮里駅前の太田道灌像

 西日暮里駅東口前にある太田道灌像を見てきました。というか、以前に通りがかったのですが、その時は気に留めず通り過ぎてしまったので、今回改めて取材しました。
 太田 道灌は、室町時代後期の武将で、武蔵守護代の扇谷上杉家の重臣でした。また、江戸城を築城した人物としても知られています。
 道灌の活躍により扇谷上杉家は勢力を拡大しますが、あまりに優秀すぎた故に上杉家は道灌が自分達に取って代わるのではないかと疑い暗殺してしまいます。しかし、道灌暗殺を機に他の家臣も上杉家を見限ったため、扇谷上杉家は関東で台頭してきた北条早雲により滅ぼされることとなりました。




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日暮里駅:東京都荒川区西日暮里二丁目19-2



| 室町時代 | 20:23 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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