烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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ボードワン博士像 上野公園

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 上野公園中央噴水広場の西側に「ボードワン博士像」と刻まれた外国人の胸像がありました。オランダの一等軍医ボードワン博士は、上野公園の生みの親と言われています。
 彰義隊による上野戦争により荒れ果てた上野の山に明治新政府は病院の建設を決めます。そこで、長崎医学校教官でオランダ人医師であったボードワン博士が派遣されます。
 しかし、博士は上野の山の自然を目の当りにし、ここに病院を建てるより公園を整備すべきだと政府に強く働きかけ、明治6年に、ついに我が国初の公園「上野恩賜公園」が生まれました。
 ところで、博士の偉業を讃え上野公園内に建立された胸像にはとんでもない逸話があります。昭和47年に、上野公園開園百年を記念して建立された胸像ですが、その姿は髭を蓄えた今とは全く別人の姿だったそうです。これは像を製作するにあたり取り寄せた写真が間違えて弟の写真だったそうで、永らく別人の胸像が公園に設置されていました。ようやく像が作り直されたのは平成18年になってからの事です。
 余談ですがボードワン博士は上野公園以外にも日本に足跡を残しています。株式会社太田胃散の主力商品「太田胃散」は初代・太田信義が博士から作り方を教わった胃腸薬がベースとなっているそうです。



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| 明治・大正時代 | 06:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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