烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2013年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年05月

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景福寺 後藤又兵衛の墓

 鳥取市新品治町にある「景福寺」は鳥取藩の家老を代々務めた荒尾家の菩提寺で、初代藩主・池田光仲公が岡山から鳥取へ移封されたのに合わせ現在地へ移転してきました。



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景福寺山門(左)と本堂(右)



 墓所には戦国時代の武将・後藤又兵衛の墓があります。後藤又兵衛(本名:後藤基次)は永禄3年(1560)に播磨国の姫路の近くで生まれ、8歳の時に父が病死すると父の友人であった黒田孝高(如水)に引き取られます。
 黒田家家臣として朝鮮出兵や関ヶ原の戦い等で活躍し広く世間に知られるようになりますが、黒田孝高の息子・長政とは折り合いが悪く、孝高の死後、黒田家を出奔してしまいます。
 知名度抜群の又兵衛には細川忠興、福島正則、前田利長等、名だたる武将が召し抱えようと声をかけますが、元主君の黒田長政の妨害により実現せず10年近く浪人生活を送ったそうです。
 慶長19年(1614)に大阪冬の陣が始まると又兵衛は大阪城に軍師として迎えられ見事な采配で徳川軍を苦しめます。しかし、翌年の大阪夏の陣の道明寺の戦いにおいて孤軍奮闘しますが、ついに討死します。



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墓の案内



 又兵衛の死後、夫人は実家の岡山・池田家へ息子の為勝を連れて帰ります。
 池田光仲公が鳥取に移封されたのに伴い、鳥取へ移住し景福寺を菩提寺として又兵衛の墓を建立しました。墓には遺髪が埋められたそうです。為勝は鳥取藩に仕え、墓所には又兵衛以降、九代にわたる墓が現存しています。



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中央が又兵衛の墓。右が夫人。左が一子為勝の墓。



  鳥取県鳥取市新品治町135

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