烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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大雲院 12代鳥取藩主・池田慶徳公墓所

 鳥取市立川町にある「大雲院」は鳥取東照宮の別当寺として鳥取藩初代・池田光仲公により慶安3年(1650)に創建されました。当初は淳光院と呼ばれ東照宮の隣りにありましたが、明治時代の神仏分離令により現在地に移転しました。




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大雲院境内(左)と本堂(右)



                                  
                        
 大雲院には江戸時代最後の藩主・十二代 池田慶徳公の墓があります。
 鳥取藩・池田家は初代光仲の長男・綱清が二代目藩主となり、次男と四男が支藩を立藩して藩主に跡継ぎがいない時には変わりに跡を継いできましたが、10代藩主・慶行が嘉永元年(1848)に病死すると、幕府は加賀前田家の慶栄を11代藩主とすることを強引に決めます。慶栄は将軍家斉の外孫です。ところが、二年後に慶栄が急死したため幕府により十二代藩主に選ばれたのが、水戸中納言・徳川斉昭の五男・慶徳公でした。最後の将軍・徳川慶喜公の異母兄となります。
 慶徳公は父・徳川斉昭公が水戸藩で行った藩政改革をモデルに鳥取藩の藩政改革を行います。また、穏健な尊皇攘夷論者として中央政界にも参画し、明治新政府が出来ると議定に任じられています。
 明治10年に肺炎のために亡くなり、墓は江戸の鳥取藩菩提寺・弘福寺に建てられた後、多磨霊園に移されますが平成15年に大雲院に移されます。
 墓が現在地に移されたいきさつですが慶徳公の跡を継いだ次男の最後の藩主・13代池田輝知公(就任直後に廃藩置県)に男子がなく徳川慶喜の五男・池田仲博を養子に迎え14代当主としますが16代当主・池田百合子氏に後継者がなく(養子はいるそうです)旧鳥取藩主家は当代限りと決断されたことから歴代藩主の眠る鳥取へ移される事になったそうです。墓は慶徳公以降の当主が合祀されています。
                                     



                             
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第十二代藩主 池田慶徳公の墓



                               
                              
 大雲院境内に東館池田家墓所の遺品があります。山岡鉄舟による墓記もありますが、平成19年に東館池田家の13代当主・池田仲親氏が亡くなった際、遺言により本家の墓に合祀されることになり、元の墓(東京)から、ゆかりの品が移されたものだそうです。




                     
                                
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東館池田家墓所遺品(左) 東館池田家家紋付き水受け(右)




                                             
                                    
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東館十代藩主・徳澄公墓記(山岡鉄舟書)(左) 池田栗公 句碑(右)



 



    鳥取市立川町四丁目24番地



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