烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2013年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年05月

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鳥取東照宮

 鳥取市に徳川家康を祀った東照宮があるのをご存知でしょうか。


 織田家重臣で、後に豊臣秀吉に仕えた池田恒興は秀吉と家康が戦った小牧・長久手の戦いで戦死します。


 跡を継いだ息子の輝政は秀吉に厚遇され豊臣一門と同等の扱いを受けます。秀吉の斡旋で継室に徳川家康の娘を娶っています。


 秀吉の死後、輝政は家康に接近し関ヶ原の戦いで武功を上げたため姫路城城主となります。西国の大名を抑える重要な役目もあり「西国将軍」と呼ばれたそうです。


 輝政の死後、長男(前妻の子)の利隆が継ぎ、次男で家康の孫の忠継は岡山藩の藩主となります。


 しかし、姫路藩は利隆が急死して跡を継いだ光政が幼少であったため幕府より鳥取への移封を命じられました。


 江戸時代に続く鳥取藩の初代藩主・池田光仲は徳川家康の曾孫で、岡山藩主の池田 忠雄の長男として寛永7年(1630)に岡山藩江戸屋敷で生まれます。


 寛永9年(1632)に父・忠雄が急死して僅か3歳で家督を継ぎます。本来、光仲は幼すぎるため改易となる可能性もありましたが家康の血筋であり免れます。しかし山陽の要所である岡山を治めるのは困難であるとの事から鳥取へ国替えとなりました。かつて同じ理由で姫路から鳥取へ国替えとなっていた池田家本家筋の池田光政との入れ替えです。


 光仲は江戸で成長し、藩主となって16年目に初のお国入りを果たします。そして藩主の威厳を示すために曾祖父である家康を祀る東照宮を勧請しました。


 現在の社殿は慶安3年(1650)の創建当時のもので桃山時代の特徴をよく表し国の重要文化財に指定されています。


 江戸時代は「因幡東照宮」と呼ばれていましたが明治に入り「樗谿(おうちだに)神社」と改称しています。そして平成24年に再び東照宮の名を復活させて「鳥取東照宮」と名を改めました。




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表参道は樗谿公園として整備されています。ホタルの名所としても有名です。




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鳥居と山門   




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随神門(左)と拝殿へと進む参道




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拝殿。扉には葵の御紋があります。




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本殿。取材後に分かったのですが本殿の桁には左甚五郎作と伝わる鷹の彫刻があるそうです。




   鳥取県鳥取市上町87

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