烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2013年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年05月

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中央棋院跡

 明治以降、対立してきた方円社と坊門ですが、大正時代に入り合同の機運が高まってきます。



その受け皿となるため方円社は大正12年1月16日に新しく出来た丸の内ビルディングへ移転します。そして同月19日に坊社合同の新組織「中央棋院」設立集会、21日には発会式が開かれ、ついに二大勢力の合同が達成されました。



 2月には初手合いが行われるなど順調にいくと思われましたが、資金運用などの運営方針をめぐって次第に旧方円社と坊門側が対立し4月1日に方円社側が一方的に合同取り消しを宣言して坊門側を事務所から締め出してしまいました。



 締め出された坊門側は方円社側を脱退とみなし、「中央棋院」の名をそのまま使用し、新会館を開設して活動を再開します。



 大正12年はこのように囲碁界は激動のスタートとなりましたが、混乱はさらに続き、9月1日に関東大震災が発生。中央棋院も方円社も事務所が使用不能となり仮事務所での活動となります。



 そして、震災を機に再び合同へ向けて動きだし翌年の大正13年に「日本棋院」が設立されたのでした。



 大正12年5月から震災までの約4ケ月間、中央棋院があった場所は「日本橋区川瀬石町15」と記録されていて、調査の結果、現在の住所では「中央区日本橋2丁目13−10 日本橋サンライズビル」と隣りの「日本生命江戸橋ビル」の都営浅草線側になります。



   



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