烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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目白不動 金乗院

 目白の地名の由来となった目白不動は豊島区高田の金乗院にあります。


 金乗院は真言宗豊山派の寺院で天正年間(1500年代後半)の創建と言われています。


 本堂は昭和20年の空襲で焼失し昭和40年代に再建されました。



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山門



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本堂



 一方、目白不動は元は金乗院から1キロほど離れた新長谷寺という寺院にありましたが、寺は金乗院と同じく空襲で焼失し廃寺となったため金乗院へ移転したそうです。


 寛永年間に新長谷寺の本尊である不動明王像が徳川家光により江戸五色不動の一つ「目白不動」の名を贈られます。そのため、この一帯の高台も目白台と呼ばれるようになり現在の地名の由来となっています。



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不動院



 金乗院の墓所に「慶安の変で由井正雪の片腕として幕府を転覆しようとして処刑された丸橋忠弥の墓がありました。



 江戸時代初期の武士(浪人)であった忠弥は宝蔵院流槍術の達人で御茶ノ水で道場を開いていました。当時、徳川家光による武断政治により多くの大名が改易され浪人が増えていて幕府に対する不満がくすぶっていました。家光が亡くなり跡を継いだ家綱が幼君であることを知った軍学者の由井小雪は幕府を転覆し、浪人を救済しようと計画を建てます。正雪と知り合いであった忠弥は計画に賛同し、その片腕として計画に加担します。

 計画は仲間の密告により露見し忠弥は捕えられて慶安4年(1651)8月に磔にされて処刑されました。


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丸橋忠弥の墓




 墓所にはこの他、日本初の公共図書館「青柳文庫」を開設した青柳文蔵の墓もありました。


 仙台藩の医者の息子として生まれた文蔵は18歳で江戸へ出て苦学の末、公事師(現在の弁護士)となり財をなします。文蔵は自分が書物が無く苦労したことから誰でも利用できる図書館が必要と考え、仙台藩に書籍2,885部、9,936冊と文庫開設資金1000両を寄贈します。


 藩ではこれらを基に天保2年(1831)に「青柳文庫」を開設し明治維新まで存続します。


 明治以降、蔵書の一部は散財しましたが、一部は宮城県内の数か所の図書館に引き継がれています。




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青柳文蔵の墓



               
                 
  豊島区高田2丁目12−39

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