烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2013年03月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年05月

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三世井上因碩のこと(囲碁史会)

 先週の金曜日の囲碁史会では定例通り南さんの資料発表がありました。
 そのあとに囲碁史会ではっきりさせなければならないことや、囲碁史の謎といったものを広めていかなくてはという話になりました。
 その第一としては三世(四世?)井上因碩のことです。この人物は難解詰碁集「発陽論」の作者として、また、名人因碩として知られています。何が問題かというと、三世(四世?)と表記したように、囲碁史会としては、実際本人も当時そう思っていたでしょうし、それは当時の資料にも「三世」と本人が記していることからも三世井上因碩であると考えます。
 ところが多少囲碁史を知っている方や古碁を並べるのが好きな方などは四世だと思っておられる方もおられるようです。それは古碁などの棋譜集に四世と表記してあるものもいくつかあるもので、特に井上家は本因坊家と違い代々井上因碩の名を継いでいるのでこんがらがってしまいます。
 そして四世と記されているもののひとつが、以前にもこのブログで紹介しましたが、JR市ヶ谷にある長生詰碁の説明に作者が四世因碩と記されてしまっているのです。
 なぜ一つずれるかというと、この因碩からおよそ100年後の十世(十一世)因碩(幻庵因碩)が井上家の格を上げるために、一世井上因碩の師匠であった本因坊算砂の高弟で名人と呼ばれた(と言われている)中村道碩を初代として一つずつ下げていってしまし、十世だった自分は十一世名乗ったからである。
 これからのものは中村道碩を井上家一世にしているものが多くなりそれが定着してしまったのです。しかしこれでは二つの表記があるというもので、どちらかに統一しなければならない。
 囲碁史会としては三世因碩にするべきではないかとまとめています。当人はそう思っていたし、当時の記録もそうだからで、これは後の当主が系図を書き換えてしまったのだから元に戻すのが正確である。幻庵を十・十一世と表記するのでいかがであろうかという意見が大勢を占めた。
 こういった問題は多々あり、囲碁史会としてはそれを追求することを努めたい。

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