烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2012年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2012年12月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

玄冶店(げんやだな)

Dsc_1062 Dsc_1061

玄冶店(げんやだな)の碑




 日本橋人形町3丁目あたりは江戸時代には通称「玄冶店(げんやだな)」と呼ばれていました。


 幕府の医師であった岡本玄冶の拝領屋敷があったのが由来だそうです。玄冶は京都出身で上洛中であった三代将軍徳川家光に招かれ幕府の医師となっています。そして家光が大病を患ったときに治療にあたり名声を得ます。後に法眼から法印に叙せられています。
 拝領屋敷は、玄冶以降も明治に入り屋敷を奉還するまで子孫が暮らしています。また、土地の一部に借家を建てて庶民に貸していた事から、この一帯が「玄冶店」と呼ばれるようになりました。


 「玄冶店」は歌舞伎の舞台としても知られています。嘉永六年(1853)に中村座で初演された「与話情浮名横櫛」の「源氏店(玄冶店)の場」の一幕で、お富と切られ与三郎の情話の舞台となっています。昭和29年には歌手の春日八郎が物語を題材にした歌「お富さん」を歌い大ヒットしています。歌詞の中で「玄冶店」と歌われていて広く名を知られる事となりました。




 「玄冶店」の碑:日本橋人形町3丁目8

スポンサーサイト

| 江戸時代 | 06:19 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。