烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2011年10月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年12月

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銭形平次の碑

 神田明神と聞いて銭形平次を連想される人も多いだろう。野村胡堂による小説「銭形平次捕物帳」は映画やテレビで何度もリメイクされた最も有名な時代劇の一つである。岡っ引きの平次親分は架空の人物だが物語では神田明神下の長屋に住み様々な事件を解決していた事から神田明神境内(社殿横の神田明神下を見下ろす場所)に関係者により昭和45年に碑が建てられた。台座は寛永通宝になっている。また、その隣は後に子分の八五郎(がらっ八)の碑が建てられた。



 なお、岡っ引きといえば江戸時代の警官のように思われるが、実際にはその役目は町奉行所の同心であった。しかし、犯罪捜査には地元に精通した人間が必要で同心が私財でそういう人物を雇っていた。それが岡っ引きで地元の顔役であるが必然的に博徒の親分がなる事も多かったようで度々、岡っ引きを雇うことが禁止されている。物語のように専業の職業として存在していたわけではなく本業があり必要により任にあたっていたようだ。同心は幕府の下級武士であり俸禄は少なかったが管轄の町屋から付け届けがあったり拝領屋敷の一部を借家にしたりして副収入がかなりあったのでそこから岡っ引きを雇う費用を捻出したようだ。



 



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銭形平次の碑(左)と隣にある子分の八五郎の碑



 





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| 東京散歩 | 22:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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神田明神

 千代田区外神田にある「神田明神」は正式には「神田神社」といい江戸総鎮守として多くの人々に崇敬されてきた。祭神は大己貴命(オオナムチノミコト・大国主命・ダイコク様)、小彦名命(スクナヒコナノミコト・エビス様)、平将門の三柱である。創建は天平2年(730)で現在の大手門あたりに出雲系の氏族により大己貴命を祭神として建てられた。承平5年(935)に発生した平将門の乱で死亡した将門の首が京から持ち去られて神社近くに埋葬されたが14世紀初頭に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとされ神田明神に祭神として合祀された。 


 徳川家康が江戸幕府を開くと関東に武家による独立国家を造ろうとした将門を祀る当神社を幕府発展のため江戸城の表鬼門にあたる現在地に移転させ江戸の総鎮守とした。明治に入ると新政府の管理下に置かれ「神田神社」と名を改めるが明治天皇が行幸されることになり逆臣であった将門が祭神から外され小彦名命が勧奨される。将門の御霊は境内摂社に遷されていたが昭和59年に本社祭神に復帰した。


 江戸時代に建てられた社殿は大変豪華なものであったが関東大震災により焼失してしまった。その後、昭和初期に当時としては珍しい鉄筋コンクリートにより権現造りを模した社殿が建てられたがこれが幸いして東京大空襲では焼失を免れている。



 神田明神で行われる江戸三大祭りの一つである「神田祭り」は江戸時代には将軍上覧のため山車が江戸城の中に入ったので「天下祭り」とも呼ばれている。



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「随神門」  ※昭和50年に建立



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「御神燈」(随神門横)と 「御社殿」(昭和9年に再建)



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「鳳凰殿」  ※神札授与所と参集所をあわせ持つ



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「明治天皇御臨幸記念碑」と「獅子山」(江戸時代の関東三大獅子の一つ

| 江戸時代 | 15:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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孔子と囲碁

 「湯島聖堂」の東側の坂は「昌平坂」と呼ばれている。聖堂は儒学を学ぶために造られ、儒学の始祖である孔子を祀っている。昌平とは孔子の生地である昌平郷にちなんで名づけられた。



 ところで、孔子は紀元前500年頃の中国の思想家であるが囲碁への考え方が「論語」に記載されている。「子曰く、飽くまで食らいついて日を終え、心を用うる所なし、困ったことだ。博弈という戯があるではないか、この遊戯をするのも何もしないよりましだ。」



 「博弈」の「博」は古代中国の双六のような遊戯で「弈」とは碁の北方の方言である。「何もしないでいるよりは囲碁でもしているほうがましだ。」という意味で積極的ではないにしても囲碁を認めていたようだ。




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 「昌平坂」



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昌平坂沿いの湯島聖堂の塀




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「相生坂」




 湯島聖堂の南側の神田川沿いのゆるやかな坂は「相生坂」と呼ばれている。これは神田川対岸の駿河台の「淡路坂」と並ぶのでそう呼ばれていたのだが江戸時代にはここも「昌平坂」と呼ばれていた。





| 囲碁が関わった出来事 | 11:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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囲碁史会

昨日は今年最後の囲碁史会がありました。

今回は韓国の方から研究家の方が来られて発表されました。韓国では唯一といっていい囲碁研究家だそうで、囲碁一筋で、韓国では右に出るものはいないのだそうです。

さらに久しぶりに富山から研究家のなかでもすばらしい香川氏も来られ、江戸時代の棋書について発表されました。

今回は多くの方が参加され、立正大学史学部講師で文学博士の高尾善希氏も来られました。なお、高尾氏はプロ棋士の高尾紳路九段のお兄さんです。

| 囲碁史会 | 09:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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湯島聖堂

 「湯島聖堂」は五代将軍徳川綱吉により儒学の振興を図るため儒学者林羅山の私塾を移して元禄3年(1630)に創建された。寛政9年(1797)には幕府直轄学校である「昌平坂学問所」が開設されている。


 明治維新後、新政府に引継がれるが学問所は明治4年に廃止される。しかし、翌年には敷地内に東京師範学校(後の筑波大学)と東京女子師範学校(後のお茶の水女子大学)が設置される等、引き続き教育・文化の中心地となった。(学問所があったのは現在の東京医科歯科大学湯島キャンパス)


 現在の建物は入徳門と水屋以外は関東大震災により焼失し後に再建されたものである。




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「大正殿」 孔子が祀られている。(土日・休日には内部を公開)




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「仰高門」




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「杏壇門」 題字は徳川宗家16代徳川家達によるもの。



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「孔子銅像」と「楷樹」




 孔子銅像は昭和50年に設置され、孔子の銅像としては世界最大のものである。



 楷は孔子の墓所に植えられた木で大正4年に苗が日本に持ち込まれた。
 




  場所:東京都文京区湯島一丁目

| 江戸時代 | 23:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ニコライ堂



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ニコライ堂



 千代田区神田駿河台にある「ニコライ堂」は正式には「東京復活大聖堂」 と言い日本ハリストス正教会(日本正教会)の中心である。ドームが特徴の日本最大級のビザンティン様式の教会で1891年に竣工。関東大震災で被災したが修復を行った。御茶ノ水周辺の代表的な建物で国の重要文化財に指定されている。



| 明治・大正時代 | 20:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大久保彦左衛門の屋敷跡

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 杏雲堂病院




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 「大久保彦左衛門屋敷跡」の碑




 JR御茶ノ水駅近くの杏雲堂病院の植込みに大久保彦左衛門屋敷跡という石碑がありました。


 大久保彦左衛門は徳川家康の家臣として関ヶ原の戦いでは本陣で槍奉行として活躍しています。


 彦左衛門は通称で本名は大久保忠教といい、一時、大久保長安事件に連座し改易されるという不遇の時期を過ごしますが再び家康の直参旗本として召し出されます。その後、秀忠、家光の三代に仕え、晩年は徳川家と大久保家の歴史を交え武士としての生き方を説く家訓書である「三河物語」を執筆しています。


 彦左衛門といえば「天下のご意見番」として有名で、旗本以下の籠での登城を禁止された事に反発してタライで登城したという話は有名ですが、これは後の世に造られた創作です。これは子孫のために残した「三河物語」で徳川家への忠義を説きながら、武勲を挙げた家臣より、そろばん勘定の得意な文治派が出世する事への不満を綴っていて、この本の写本が市中に出回り人々の共感を得たからのようです。


 とはいえ、実際に多くの浪人を養ったり、死の間際に家光から5000石の加増を打診されたが「余命いくばくもない自分には不要」と断ったりして人々から慕われていたようだ。




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「法政大学発祥の地」の碑と駿河台日本大学病院




 「大久保彦左衛門屋敷跡」の碑の前の歩道に「法政大学発祥の地」の碑がありました。


発祥の地は杏雲堂病院の隣の駿河台日本大学病院との事です。法政大学の前身である東京法学社が明治13年(1880)に設立された場所です。



| 江戸時代 | 21:35 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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福厳寺の赤門

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 墨田区東駒形町にある福厳寺は曹洞宗の寺院で江戸幕府が開府するより前の延徳3年(1491)に創建されて以来、場所も一度も変えていない。



 三代将軍家光が父秀忠の追福のために朱塗りの門を寄進し江戸時代より赤門寺と呼ばれていた。その門は関東大震災で焼失し、その後、紀州家中屋敷の門を朱塗りにし移設した。残念ながらこの門も戦災で焼失し、現在ある門はその後、復興されたコンクリート製の赤門である。



 また、赤穂浪士の大石内蔵助の縁者である大石三平の墓があるそうです。中に入れるか分からなかったので見ることができなかったが、三平は高松藩の家老で本所横網に住み福厳寺の住職に禅を習っていた。浪士達の江戸入りには便宜をはかり、禅の集会と称して浪士が集まる場所を提供し密談を重ねていたそうだ。




 場所 墨田区東駒形3-21-3



| 江戸時代 | 21:15 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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内閣総理大臣杯

 昨日、内閣総理大臣杯囲碁団体戦が日本棋院でありました。


 会社や碁会所、囲碁サロン、学生など仲間三人で1チームをつくる団体戦でした。企業などはいくつもチームを出しています。



 私は出場していませんが、私の主宰する会はCクラス(初段以下)に1チーム出場しました。初段以下といっても、多くのチームはみなさん厳しい棋力で参加されますので、とても強いです。他のチームですが、「これは初段以下じゃない」と不満を言っている声も聞こえました。



 さて結果ですが、チームとしては2勝1敗ということになりました。



 各ブロックで1チームがわく抜けし、4チームで決勝トーナメントを行うのですが、残念ながらわく抜けなりませんでした。



 ですが、個人で一人全勝された方がおられたので、大変うれしかったです。



 みなさん大会のためにがんばっておられたので、これから11月、あと2回団体戦があるのでがんばってほしいです。



 のこりの大会は何チームも参加します。



 みなさんに勝っていただきたいですが、どうなることでしょう。

| アマ対局 | 18:40 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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囲碁フェスティバルin目白

11月12、13日の土日に囲碁フェスティバルが目白で開催されます。



今年は二日間にわたり、これまでの六本木とは違う目白です。



「囲碁のある生活」をテーマに、身近に囲碁を感じていただきます。



目白駅周辺の各所で、カフェやフレンチといったものから、落語や書、アートまで。さらに経営と囲碁、囲碁の教え方を教えるなどもあります。もちろんプロに挑戦することもできます。



すべてに参加しようと思ったらとても一日では周るのは大変です。



ですから、二日続けて参加してくださいね。



詳しくは「囲碁アミーゴ」のホームページをご覧ください。

| 囲碁あれこれ | 07:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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