烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2011年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年07月

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相国寺

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 相国寺は足利将軍家や伏見宮家、桂宮家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第二位に列せられている。五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟も相国寺の出身である。

 室町幕府三代将軍足利義満が永徳2年(1382)に発願、十年後の明徳3年に竣工した。

 相国寺は京都最大の禅宗寺院のひとつとして栄えたが、度重なる火災や戦災でほとんどの堂宇が焼失、現在の伽藍の大部分は19世紀に再建されたものである。

 相国寺は本因坊算砂の時代、囲碁の対局などに使用されていたこともある。徳川家康などはよく碁会を催していた。

 京都市営地下鉄烏丸線今出川駅より徒歩5分 同志社大学に隣接
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| 室町時代 | 09:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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宗旦稲荷神社

 京都相国寺の一角にある宗旦稲荷神社の由来のなかに囲碁のはなしが出てくる。

 昔、相国寺の境内に住みついていた狐は千利休の孫で千家の基礎を固めた宗旦になりすまして、しばしば出没していたので「宗旦狐」と呼ばれるようになった。

 その宗旦狐のはなしのひとつに、これもなりすまして碁を打ったというはなしがある。

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 由来書きの下のほうには見えにくいかもしれないが、碁の字が見える。

| 囲碁が関わった出来事 | 08:25 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大久保利通邸跡

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 今出川駅からしばらく歩いたところにある大久保利通の邸跡。大久保利通は薩摩藩の人で西郷隆盛と並び幕末から明治に活躍した。二人は幼いころからの友人であったが、明治になってから対立するようになった。



 大久保利通は囲碁で出世したという。当時の薩摩藩主は囲碁好きで、それを知った大久保は囲碁をはじめ、それで藩主に気に入られた。さらに大久保の子・牧野伸顕は日本棋院初代総裁である。

| 幕末・明治維新 | 20:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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薩摩藩邸跡

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 今出川駅を出てすぐ、同志社中学のまえにある京都薩摩藩邸跡碑。このあたりに薩摩藩邸があった。薩摩藩は幕末に活躍した雄藩である。西郷隆盛、大久保利通などが出身である。



 もともと薩摩藩邸は中京区錦東洞院にあったが、そこが手狭なため文久2年(1862)にここに大きな藩邸を設けた。

| 幕末・明治維新 | 08:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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二条城

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 二条城は徳川家康が京都御所守護と上洛時の宿舎として造営した。しかし1603年、家康の当時は現在のと二の丸と天守の部分だけで、三代家光のときに本丸御殿を整備した。1643年、家光が入城して以来幕末、徳川慶喜が大政奉還を行うまで将軍の入城はなかった。

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慶喜が大政奉還をおこなった二の丸御殿(歩くと音が鳴るうぐいす張りの廊下で有名)と二の丸庭園。

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天守閣から見た本丸御殿と堀

 二条城とよばれる場所は家康が築城したこの二条城のほかにも足利義輝、義昭の居城となった城もあるが、それは場所が違い、現在はない。

 囲碁では本因坊算砂、中村道碩、安井算哲などが二条城に於いて徳川秀忠御前で対局という記述が資料に見られる。

| 江戸時代 | 08:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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晴明神社

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 一条戻橋のたもとにあった安倍晴明の屋敷跡に晴明を祀る神社を1007年一条天皇が建立。



 社地は広大なものであったが、戦火や豊臣秀吉の都市整備などによって縮小された。荒れ果てたままになっていたが、幕末以降氏子らによって整備された。



 数年前には陰陽師という映画などがあり、晴明ブームが起きていた。



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安倍晴明像

| 平安時代 | 20:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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二条城周辺(聚楽第跡)

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 源氏物語ゆかりの地・平安宮大蔵省跡と秀吉の聚楽第跡の碑は同じ場所にある。聚楽第に関しては、大名のそれぞれの屋敷があったところ。平安宮大蔵省は令制八省のひとつで、多くの倉庫があった大蔵をあわせて平安宮の北八町占めていた。

| 戦国時代 | 19:26 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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二条城周辺(黒田)

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 黒田如水(官兵衛孝高)の京都屋敷跡。黒田如水は豊臣秀吉の軍師で、秀吉がもっとも恐れた人物とされる。

 如水にかんしては有名な囲碁の逸話がある。

 朝鮮の陣で浅野長政と対局しているときに石田三成が訪れたが、それに気がつかず対局を続けていた。これを見た三成は如水らの怠慢を帰国後秀吉に報告した。これにより如水は秀吉から遠ざけられたというもの。このことにより、如水の子の黒田長政は囲碁を慎んだという。しかし、黒田長政にも如水とともに碁会に参加した記述がある。そこには本因坊(算砂)、安井六蔵(算哲)の名も見られる。

| 囲碁が関わった出来事 | 09:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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二条城周辺(上杉)

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 大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続の聚楽第屋敷跡。



 聚楽第は豊臣秀吉の命で創られた屋敷である。そこに各大名の京都の屋敷があり、妻子を置いて人質とした。



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 その近くに直江兼続の主君である上杉景勝の屋敷跡がある。


 応仁の乱のころは細川勝元の屋敷だった。

| 戦国時代 | 12:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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二条城の前で

 京都二条城の前を歩いているとホテルの前に碑を二つ見つけました。



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福井藩邸跡




 福井藩は慶長5年(1600)、徳川家康の次男結城秀康が封じられたことにはじまる藩である。石高は江戸中期以降32万石。


 幕末は松平慶永が藩主となり、水戸藩とともに幕府政治の改革に乗り出し、公武合体運動をすすめた。




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橋本左内寓居跡



 橋本左内は幕末の志士で安政の大獄で処刑された。

| 幕末・明治維新 | 19:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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