烏鷺光一の「囲碁と歴史」

2011年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年03月

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萬福寺(雪舟庭園)

 萬福寺は元は安福寺と言ったが応安7年(1374)益田家城主「益田兼見」により現在の地に移され名を改めるとともに益田氏の菩提寺としている。本堂は当時のまま残り造りは鎌倉時代の様式である。(国指定 重要文化財)
 また、幕末には第二次長州征伐、益田口戦争において幕府軍(福山・浜田藩)の陣地となり本堂の柱にはその時の弾跡が残されている。
 庭園は雪舟が作庭したもので寺院様式須弥山風の庭である。国の史跡および名勝に指定されている。

萬福寺ホームページ

http://www13.ocn.ne.jp/~mannyou/



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門と本堂

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雪舟庭園

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雪舟の像

 また、近くの観光用駐車場に隣接して「染羽天石勝神社」がありお参りしました。

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医光寺(雪舟庭園)

 島根県益田市にある医光寺は元は貞治元年(1363)に創建された天台宗崇観寺(すうかんじ)の塔頭(たっちゅう:寺の敷地内に建てた小院)であった。崇観寺は文明年間(1469~1486)に山口から招かれた雪舟が5代目住職を務めている。その後、戦国時代に入り寺は荒廃していったが益田家17代城主「益田宗兼」によって医光寺が再建され崇観寺を継承している。(現在は臨済宗東福寺派)
 医光寺の裏山に造られた庭園は雪舟により造園されたもので国の史跡および名勝に指定されている。池泉観賞半回遊式の庭園で鶴池に亀島を配置している。
 また、再び益田を訪れた雪舟が東光寺(大喜庵)にて永正3年(1506)に87歳で亡くなると亡骸は嵩観寺に運ばれ、ここで荼毘に付されている。(寺の格式によるものらしい。)灰塚が残されている。
 総門は七尾城(益田城)の大手門を移築したものと伝わっている。毛利家の家臣となった益田氏が関ヶ原の合戦後、長門・長州の2国に減封となった毛利に従って長門須佐に移り廃城となったためらしい。

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総門(左)と本堂(右)

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「雪舟庭園」   鶴の形をした池に亀の形をした島を配置している。

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益田家 第17代城主 益田宗兼の墓

| 室町時代 | 21:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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