烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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もみじ谷と東京タワー

 東京のシンボルとも言える「東京タワー」は、元増上寺の境内である芝公園20号地へ昭和33年(1958)に建てられました。
 現在東京タワ-が建っている山は、かつて紅葉山と呼ばれていた場所で、徳川2代将軍秀忠が、江戸城内の楓山から楓の木を移植したのが始まりで、山の下を「紅葉谷」、渓流から流れる滝は「紅葉の瀧」と呼ばれていました。
 現在も東京タワーに隣接する芝公園に、もみじ谷の名残を見る事が出来ます。

DSC01935.jpg
現在の「もみじ谷」芝公園

 現在、東京タワーが建っている敷地は、かつて「紅葉館」という会員制高級料亭があった場所です。明治14年(1881)に純日本風高級社交場として開業した「紅葉館」は、明治16年に開業した西洋風社交場である「鹿鳴館」と共に外国人接待、政財界人の集いなどで使用されますが、西洋の舞踊会場として使われた鹿鳴館は僅か七年で閉鎖され、その後は紅葉館のみがその役目を担うこととなります。
 「金色夜叉」で有名な尾崎紅葉は、この辺りの生まれで、ペンネームは「紅葉山」からとっています。また、 「金色夜叉」誕生のきっかけは、尾崎の親友の巌谷小波が紅葉館の女中の「お須磨」と恋に落ちたものの、家庭の事情もあり、お須磨は、他の客の物となったため、二人をよく知る尾崎が激怒して紅葉館にて、お須磨を激しく詰問し足蹴にしたそうで、その時の様子が熱海の海岸の名場面として使われています。
 紅葉館は東京大空襲で焼失し、その跡地が高台で地盤もタワー建設に適していたことから「東京タワー」の建設地に選ばれたのです。

DSC01940.jpg
東京タワー

東京タワー : 東京都港区芝公園4丁目2-8
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芝大門

 芝大門へやってきました。現在、この場所の地名にもなっている大門は、かつて広大な敷地を有した増上寺の四門の一つで、明治4年(1871)に新政府により寺領の一部が没収されると、増上寺は門の管理が困難であるとして四門を当時の東京府に寄付しています。
 そのうち現在も残っているのは芝大門だけで、昭和12年(1937)には当時の東京市により鉄筋コンクリート製に造り直されました。
 戦後、本堂建立や伽藍の整備を進めていた増上寺は大門の返還を求めますが、ここで問題が発生。都側は大門について財産目録になく譲渡できないと回答。所有者が宙に浮いたままずっと保留されてきました。
 ところが、その間も大門は老朽化し、東日本大震災では瓦が落下するなど安全確保を求める声が上がってきたため、都は今年、再調査により財産目録から抹消していた事を突き止め、現在は資産価値はないとして増上寺へ無償譲渡したそうです。増上寺が門を手放して138年ぶり、返却を求めてから約40年ぶりの出来事でした。
 今後、増上寺では瓦のチェックや強度計算などを実施し、補修作業を進めるそうです。

芝大門
芝大門

大門横のプレート
大門横のプレート

プレートの裏
プレートの裏

東京都港区芝公園1丁目7−13 付近

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団子坂と江戸川乱歩

 千駄木の団子坂は潮見坂、千駄木坂、七面坂の別名があります。
 「団子坂」の由来は、坂近くに団子屋があったという説や、悪路のため転ぶと団子のようになるからという諸説あります。
 別名の由来は、七面堂が坂下にあった事から「七面坂」の名が生まれ、坂上から東京湾の入江が望見できたため、「潮見坂」の名が生まれたと伝えられています。
 幕末から明治末にかけて菊人形の小屋が並び、坂上には森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が住んでいたそうです。
 推理小説を得意とした小説家・江戸川乱歩が大正13年(1924)に発表した『D坂の殺人事件』。「D坂」とは「団子坂」の事で、乱歩は小説家になる前、団子坂で「三人書房」という古本屋を経営し、小説の構想を練っていたそうです。『D坂の殺人事件』は、乱歩の初期の作品で、名探偵・明智小五郎が初登場する記念すべき作品です。

団子坂下交差点
団子坂下交差点

団子坂
団子坂

現地説明板
現地説明板

文京区千駄木2丁目と3丁目の境

| 東京散歩 | 07:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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藍染川と枇杷橋(合染橋)跡

 谷中3丁目にある大円寺から千駄木駅がある団子坂下交差点に向かう途中の交差点に「藍染川と枇杷橋(合染橋)跡」の説明板があります。
 団子坂下へ向かう路と交差する道路は文京と台東の区境になり、うねうねと蛇行しています。この道は現在暗渠となっていますが地下に藍染川が流れているそうです。
 『新編武蔵風土記稿』によると、水源は染井の内長池(染井霊園の北側の低地)で、ここから西ヶ原へ、さらに、駒込村から根津谷へと向かっています。不忍池から上野の山の三枚橋下(公園入口のところ)で忍川となり、三味線堀から隅田川に注いでいます。
 藍染の名の由来は、染井から流れ出るからとか、川筋に染物屋があり川の色が藍色に染まっていたからなど諸説あります。
 交差点付近にはかつて、藍染川に架かる橋がありました。江戸時代の『御府内備考』や『新編武蔵風土記稿』によると、この橋は合染橋、藍染橋、琵琶の橋(のち琵琶橋)などと呼ばれていました。なお、旧八重垣町にも同名の藍染橋があったそうです。
 川は、水はけが悪くよく氾濫したので、大正10年(1921)から暗渠工事が始められ、現在、その多くが台東区との区境の道路となっているそうです。

藍染川と枇杷橋(合染橋)跡

文京区千駄木2-35先

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三崎坂 怪談牡丹燈籠

 谷中5丁目の全生庵の前から千駄木駅に下る道で、不忍通りを挟んで 団子坂の反対側に突き当たる坂を「三崎坂」と言います。
  「三崎(さんさき)」という地名の由来には諸説ありますが,駒込・田端・田中の三つの高台にちなむとも言われています。安永二年(1773)の『江戸志』によると,三﨑坂の別名は「首ふり坂」といい、その昔、この坂の近所に首をよく振る僧侶がいたことに因んだと言われています。
 この坂がある三崎町は全生庵に眠る三遊亭円朝の「怪談牡丹燈籠」の舞台になった場所です。この坂でカランコロンと幽霊の下駄の音が響き渡っていたのでしょうか。

三崎坂

台東区谷中2丁目と3丁目の間から4丁目と5丁目の間

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