烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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平塚駅 囲碁のまちひらつか記念塔

 神奈川県平塚市へやってきました。近代囲碁に大きな功績を残した木谷實九段は、平塚に居を構え、全国の才能豊かな子どもたちを自宅に預かり育てています。
 「木谷道場」と呼ばれた、その家で暮らした弟子は70人近くにもなり、その多くが現代の囲碁界を代表する棋士になっています。
 そのような縁から、平塚市は囲碁を貴重な文化資源として位置付け、囲碁文化の普及・振興を推進しています。

平塚駅
平塚駅

 平塚駅北口付近にある「囲碁のまちひらつか」記念塔は木谷實九段生誕100年を記念して平成21年(2009)に設置されたもので、詰碁の問題が掲示されています。なお、この問題は定期的に変更されているそうです。

囲碁のまちひらつか記念塔
囲碁のまちひらつか記念塔

平塚市宝町 平塚駅北口
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明治村 三重県庁舎の那智黒石

 明治新政府による地方行政は、明治4年(1871)の廃藩置県により、府知事・県令を各府県に派遣し、地方行政を行います。
 当初は県庁舎は既存の建物が使用されていましたが、その後、洋風の新庁舎が各地で建設されるようになり、三重県では、明治9年(1876)に県令岩村定高によって計画され、3年後の同12年に完成しています。

三重県庁舎
三重県庁舎

 庁舎は、間口が54mと大きな建物で、中央の玄関を軸に左右対称になっていて、正面側には二層のベランダが廻らされています。

庁舎2階
庁舎2階

室内
室内

 庁舎内の展示物の中に、三重県熊野市神川町で産出する「那智黒石」の碁石がありました。
 那智黒石は、神川町でしか産出されない特殊な鉱石で、平安時代からその名が見られ、硯、床置石などで使われてきましたが、何と言っても、碁石としての活用が最も多く、高級碁石の代名詞となっています。

那智黒石
那智黒石の碁石と硯

明治村:愛知県犬山市字内山1番地
  1丁目13番地

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三嶋大社 囲碁の彫刻

 三嶋大社の拝殿には見事な彫刻がありますが、その中には囲碁の彫刻もあります。
 場所は拝殿上部の向かって右側で、内容は「吉備真備囲碁の図」だそうです。
 吉備真備は以前も紹介しましたが、奈良時代の学者で右大臣にまで出世した人物です。遣唐使として唐に渡り、暦学など多くの知識や書物を日本に伝えたことで知られていますが、囲碁を日本に持ち込んだのも真備であると伝えられています。
 吉備真備の才能を恐れた唐人は、様々な難問を突き付けますが、その中に唐の名人との囲碁の勝負の場面もあり、彫刻は、その様子を彫った物だそうです。

吉備真備

拝殿
拝殿

拝殿の彫刻
拝殿の彫刻

囲碁の彫刻
囲碁の彫刻

静岡県三島市大宮町2-1-5

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 囲碁発祥の地記念碑
 吉備大臣産湯の井戸

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囲碁史スポット 延壽寺日荷堂

 東京都台東区谷中にある延壽寺の境内には、以前紹介した健脚の神様、日荷上人の像を祀った『日荷堂』があります。
 延壽寺が創建されたのは明暦2年(1656)、第四代将軍徳川家綱の時代。当初は大乗山延壽院と呼ばれ、同じ谷中にある瑞輪寺の末寺でしたが、その後解消され、宝永年間(1704~1710)に身延山久遠寺の直末となります。
 やがて宝暦5年(1755)に延壽寺と名を改め、その際に身延山山本坊より日荷上人尊像を勧請ています。尊像は現在も、日荷堂に安置されていて、毎月一日と十日にご開帳しているそうです。
 日荷上人については、以前も紹介しましたが現在の横浜市金沢区六浦にある「上行寺」の僧侶で六浦妙法と言いました。
 ある日、六浦妙法の夢枕に称名寺の仁王尊が立ち、日蓮宗総本山である身延山へ運ぶよう告げたため、六浦妙法は称名寺の住職に囲碁の勝負を挑み勝利。二体の仁王尊を背負って三日三晩かけて身延山久遠寺まで運んだという伝説から健脚の神様として信仰されています。
 江戸時代、基本的に移動手段は自分の足であり、延壽寺は健脚を祈る人々から信仰を受け「日荷さまの寺」と呼ばれていました。現在でもマラソン選手など、スポーツ関係者が大会前に参拝しているそうです。
 日荷堂の脇には参拝者が奉納した絵馬が多く掛けられていますが、取材時にかけられていた絵馬の多くが、今年左足靭帯のけがをしたフィギュアスケート羽生結弦の早期回復を願うものでした。

延壽寺山門
延壽寺山門

本堂
本堂

日荷堂の絵馬
日荷堂の絵馬

 日荷堂の軒下に掲げられた奉納額の1つに「相撲桟敷方」と書かれた額があります。相撲興行の際に茶屋の軒を借りて営業していた「桟敷屋」が奉納したものですが、その中に「八百長」の名を見る事が出来ます。
 相撲の八百長の語源となった「八百長」こと八百屋の長兵衛は、元は八百屋でしたが桟敷屋の権利を買い営業していたそうで、囲碁が大変強い人物でしたが、興行を取り仕切る年寄七代伊勢ノ海に取り入るため囲碁の相手をしわざと負けていたそうです。
 ところが、本所の回向院近くに新しく出来た碁会所の開所式に家元本因坊が招かれたことから、長兵衛は本因坊と本気の勝負をし、その実力がばれてしまったそうです。この逸話から勝負にわざと負ける事が「八百長」と呼ばれる事となります。なお、この時、長兵衛が対局したのは本因坊秀元であると言われています。

奉納額
奉納額

世話人の中にある「八百長」の名
世話人の中にある「八百長」の名

 仁王尊を賭けた囲碁勝負で知られる日荷上人を祀り、囲碁でわざと負け「八百長」の語源となった八百屋の長兵衛の名が入った奉納額がある「延壽寺日荷堂」は、囲碁関係者なら一度は訪れてみたい囲碁史スポットと言えるかもしれません。

東京都台東区谷中1-7-36

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三渓園 臨春閣 琴棋書画の間

 三渓園にある臨春閣は、桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と伝えられていましたが、現在では和歌山県岩出市にあった紀州徳川家の別荘 巌出御殿ではないかと考えられています。巌出御殿では、8代将軍、徳川吉宗が幼少期に暮らしていたと言われています。
 内部には狩野派を中心とする障壁画がありますが、これらは複製画で、原本は園内の三溪記念館にあり、定期的に展示されています。
 今回、こちらを訪れたのは臨春閣に「琴棋書画の間」があると聞いたためです。しかし、時間が遅かったため中には入れず、すでに薄暗かったため囲碁の場面を確認できませんでした。また、機会があれば再訪問したいと思います。

臨春閣
臨春閣

臨春閣
臨春閣

琴棋書画の間
琴棋書画の間

琴棋書画の間
琴棋書画の間

神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1

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