烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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家元・井上家の墓

井上家の墓

 以前、囲碁家元・井上家の菩提寺である西麻布の日蓮宗日通山妙善寺を紹介した事がありますが、その時は墓地に入る事が出来なかったため今回、再び訪れました。
 今回は囲碁史会員の南氏と徳弘氏も一緒です。しかし、井上家の墓は新しくなっていて家元の墓と分かるものは一切残っていませんでした。
 南氏の話によると昭和40年代には、墓所に二つの墓石があり、一つは十三世井上松本因碩が建立したものだったそうですが、現在は一つにまとめられ、昭和以降に亡くなった囲碁とは関係ない人の名しか確認出来ませんでした。
 さらに、妙善寺墓所には昔、無縁仏の墓石が一ヶ所にまとめられていて、その中に「吐血の局」で有名な赤星因徹の墓もあったそうですが、それも現在は撤去されていて残っていません。
 どなたの家もそうだと思いますが、先祖の方も数代経ると先祖代々として一括りにされてしまうため、貴重な史跡を後世に伝えることの難しさを痛感させられました。

【関連記事】 井上家の菩提寺 妙善寺

妙善寺:東京都港区西麻布3-2-13
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| 井上家 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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井上家の菩提寺 妙善寺 

 井上家の菩提寺である妙善寺についても、安井家菩提寺と同様にホームページでの紹介に留めていたので今回紹介させていただきます。数年前に取材したものです。
 港区西麻布にある日蓮宗日通山妙善寺は、寛永四年(1627)に、紀州藩家老三浦長門守為春が創建した寺です。
 為春の妹は徳川家康の側室で、紀州藩主徳川頼宣と水戸藩主徳川頼房の生母である養珠院お萬の方です。為春とお萬の方は共に日蓮宗の熱心な信者でした。
 妙善寺では、法要説教の他、茶会、歌会、書画会、碁会等が催され、中でも家元井上家による碁会が常設されていたため「麻布の碁寺」とも呼ばれていたそうです。こうした縁から境内の墓地に井上因碩家歴代が埋葬されています。

 場所は六本木ヒルズの「グランドハイアット東京」の前にありますが、山門にあたる入り口がマンション(1階が飲食店)になっていて分かりにくく迷ってしまいました。なお、墓所へは自由に入れませんのでお参りしたい方はお寺へ事前に相談が必要でしょう。取材したときも墓所には入れませんでした。

妙善寺


妙善寺


東京都港区西麻布3-2-13

| 井上家 | 08:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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井上因碩屋敷の場所について(訂正)

 以前、柴新銭座にあった井上因碩の屋敷は現在の「イタリア公園」であろうと紹介したが、その後入手した資料により改めて詳細な場所を調査し直したところ少しずれて「イタリア公園」に面したJR線路敷地内である事が判明したので訂正させていただきたい。具体的に言うと「イタリア公園」前から鉄道下をくぐって反対側の浜松町1丁目へ抜ける「新銭座トンネル」の所だ。

 当初、濱離宮の堀の幅が江戸時代と現在が同じなのか判断できなかったため今と同じとすれば「イタリア公園」の付近であろうと判断したが平成元年発行の「江戸復元図」(東京都作成による江戸時代の地図を平成元年当時の地図に重ね合わせた地図)によれば丁度間にある首都高までが江戸時代の堀にあたる事が分かった。また井上家は江戸時代の切絵図では濱離宮と並行に左右に長い敷地として描かれていたが同資料をもとにすれば実際は離宮に垂直に長細い敷地である事が分かった。.厳密に言うとトンネルに面した浜松町駅側の敷地でトンネルの長さ(鉄道敷地の幅)とほぼ同じになる。



Dsc0021_2 

新銭座トンネルを訪ねてみたが丁度トンネル工事中で全面通行止めであった。

写真の工事中となっている所がトンネル入口(閉鎖中)。上が山手線で高架橋は「ゆりかもめ」

その先に見えないが「イタリア公園」がある。

| 井上家 | 21:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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慶満寺

 八世井上因碩春策の墓を訪ねて


Sany0034



 七月にあった囲碁史会で発表させていただいたものです。

 八世井上因碩(春策)の生まれた広島県福山市にある慶満寺に因碩の墓がるというので行くことにした。

 この慶満寺は因碩の生家佐藤家の菩提寺であり、佐藤家は地元の大庄屋として有名である。

 佐藤家の墓所はすぐわかるところにあったので、この写真を手掛かりに因碩の墓石を探すことにした。ところがそれらしいものが発見できなかった。そこで、寺の方に伺うことにした。写真に見える背景からこの辺りだと思うというところを見てみるとそこにはまったく別の墓石が建っており、やはり因碩の墓石を見つけることができなかった。

 はなしを伺った方は住職の息子さんと思われ、今の住職の代になってから佐藤家の墓石を整理した記録はなく、御自身も御存知ないとのこと。先代からもそういうはなしは聞いておらず、佐藤家の墓を整理すれば記録にのこらないはずがないとのことなので、ずいぶん前のことになる。さらに、いつのことかよくわからないが、佐藤家はずいぶん前に引っ越されてしまったので、そのときに整理されたのではないかとのことである。

 そういうことなので現在八世因碩の墓石がどうなってしまったのかわからないということである。

 因碩について少し述べておく。

 安永3年(1774)、現在の広島県福山市蔵王町)に本庄屋三世佐藤久兵衛重望の三男として生まれる。幼名佐藤民治。天明8年(1788)、十四歳のとき、江戸新銭座七世因碩に入門、春策を名乗る。寛政6年(1794)、師の娘を妻にし跡目となる。同年御城碁初出仕。文化2年(1805)閏八月十七日、三十一歳で家督相続。その五年後の文化7年八月八日没。墓石及び位牌には五月八日没となっている。実際は五月に没し、跡目決定をまって八月に届け出たものと推定される。

 墓石には妻の戒名もともに刻まれている。

 因碩  妙法尚操院因碩日逞居士
 妻   妙法尚操院妙果日貞大姉

| 井上家 | 19:56 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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古地図(井上因碩)

Inoue

 古地図に囲碁の家元井上因碩の名前を発見しました。これまで同場所には井上とのみ表記されているものしか見ていなかった。これで井上が井上因碩のことだとはっきりした。この場所は以前に訪れたことがある。イタリア公園の辺りだと思われる。

| 井上家 | 08:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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