烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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浜松城の囲碁史

 そういえば、浜松城での囲碁の話について触れていませんでしたので紹介します。
 家元を幕府に取り立てるなど囲碁界を庇護してきた徳川家康ですが、いつごろから囲碁を始めたかは良く分かっていません。
 家康の記録で碁の記述が見れるのは天正15年からで、駿府城築城間もない頃、娘婿の奥平信昌が師匠の本因坊算砂とともに訪ねてきて、そこで家康は算砂と日夜対局したというものです。家康は元々、人が碁を打つのを見ても、周囲に迷惑をかけるだけで何の役にもたたないと思っていたそうで、浜松時代はあまり囲碁に興味がなかったかもしれません。
 ただ、浜松城ではこのような出来事がありました。後に家元林家の初代となる林門入斉は幼少の頃より囲碁が強いことで知られ、それを聞きつけた家康は、浜松城で対面し、その実力が認められると剃髪して京都にて坊主衆として取り立てられています。

 この他、江戸時代最初に浜松城主となった松平忠頼(桜井松平家)は、慶長14年(1609)に従弟の水野忠胤の江戸屋敷に招かれて宴席に参加しますが、そこで忠胤の与力である久米左平次と服部半八が囲碁の勝敗をめぐって口論となり、それを仲裁しようとして左平次によって刺殺されています。一説には忠頼がしきりに服部に対して助言をしたのが原因とされています。

浜松城

静岡県浜松市中区元城町100−2

【関連記事】 囲碁が原因で改易となった大名 水野忠胤
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| 囲碁が関わった出来事 | 10:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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家康の碁仲間 妙恩寺十一世日豪上人

 浜松の妙恩寺は応長元年(1311)に日蓮上人の法孫にあたる日像上人が開山した寺院です。
 現在の山門は、妙恩寺中興の十一世日豪上人の時代に造られたもので、山号「長光山」の文字も日豪上人の筆によるものだそうです。日豪上人は徳川家康と関わり深い人物として知られています。
 家康は岡崎から曳間城へ入城する前に妙恩寺に陣を張り、武田軍と相対していたといいます。日豪上人は武田四天王の一人、馬場信春の末子と伝えられていますが、「三方原の戦い」では、敗走する家康を天井裏に匿ったという伝説が残されています。
 そして日豪上人は家康の厚い信頼を得て妙恩寺は大いに発展していったそうです。また、日豪上人は家康の囲碁仲間で、良く囲碁を打っていたという話も伝わっています。

妙恩寺山門
妙恩寺山門

本堂
本堂

家康公御手植えの黄楊(つげ)の木
家康公御手植えの黄楊(つげ)の木

歴代住職の供養塔
歴代住職の供養塔

 供養塔の周りにあるのが、各住職の墓ですが、風化が激しく、日豪上人の名は確認できませんでした。

墓誌に刻まれた十一世日豪上人の名
墓誌に刻まれた十一世日豪上人の名

静岡県浜松市東区天竜川町179

| 囲碁が関わった出来事 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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奥平信昌邸跡 浜松秋葉神社

 浜松市中区三組町にある浜松秋葉神社は、永禄13年、徳川家康が岡崎から浜松城に拠点を移した際に、北遠(浜松市天竜区)にあった秋葉山の権現社を城のすぐ近くの丘陵にあった家臣奥平信昌の屋敷に勧請したのが始まりです。火の神を祀る秋葉神社は、防火にご利益があるとして人々に崇敬されてきました。

鳥居
鳥居

 この地に屋敷があった奥平信昌は、三河出身の有力国人・奥平定能の長男で、元は奥平貞昌といいました。奥平氏は元々、今川氏の家臣でしたが、今川家が衰退すると一時徳川方に属しますが、その後武田家の傘下に加わっています。どうしても奥平氏を味方にしたい家康は、領地加増と貞昌に長女亀姫を嫁がせることを条件に家臣へ引き入れたそうです。
 奥平貞昌は長篠の戦いにおいて、長篠城に籠城して武田軍の猛攻をしのぎ、織田・徳川連合軍の勝利に大きく貢献します。戦後、貞昌の功績を賞賛した織田信長により「信」の字を贈られ「信昌」と改名。家康からも名刀大般若長光を拝領し、長篠城に替わる「新城城」の築城を許され大名となっています。

拝殿
拝殿

 なお、武田家滅亡後、家康は多くの旧武田の家臣を召し抱えていますが、その際に家康への忠誠を誓わせた起請文を秋葉神社に奉納させています。
 徳川四天王にも数えられる井伊直政の部隊は、武具などが赤で統一され「井伊の赤備え」として知られていますが、これも「武田の赤備え」として知られた武田軍を井伊家が編入したためと言われています
秋葉神社は第二次世界大戦の空襲で焼失したため本物は残っていませんが、その写しが近年発見されたそうです。

かがり火
かがり火

 奥平信昌は囲碁界とも関わり深い人物で、本因坊算砂の門人だったそうです。徳川家康に囲碁の手ほどきしたのも信昌だと言われ、師匠の算砂を家康に引き合わせたのも信昌であったと伝えられています。

奥平信昌邸跡の碑
奥平信昌邸跡の碑

静岡県浜松市中区三組町39

【関連記事】
 新城城 家康と算砂の出会い 
 信長賞詞地

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あさが来た 五代友厚

 高視聴率をキープした、NHK連続テレビ小説「あさが来た」が、いよいよ明日最終回を迎えます。
 ドラマに登場したディーン・フジオカ氏が演じる白岡あさ(広岡浅子)の精神的支柱、五代友厚はあまりの人気で亡くなる予定日が延期されたほどでした。五代友厚については、以前ブログで紹介しています。

 薩摩藩士であった五代友厚は、明治維新後に官職に就き、日本のためには東京だけでなく大阪の発展が必要と考え、大阪造幣寮(現・造幣局)設立に尽力しています。その後、民間に転じた五代は紡績業、鉱業、鉄道業などを幅広く事業を手がけ、大阪株式取引所(大阪証券取引所の前身)の発起人や、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)の初代会頭に就任となるなど、大阪の経済的基盤の構築に尽力しています。
 そんな、五代友厚の趣味は囲碁であったと言われ、同郷の大久保利通は囲碁仲間であったと言われています。
 征韓論を巡る対立から西郷隆盛が下野し、長州閥トップの木戸孝允までが政権内の対立により山口へ帰ると、残された大久保利通は政権運営に大変苦慮します。事態を憂いた五代や井上馨らは、大久保、木戸らが会談する「大阪会議」をセッティングし、木戸の政権復帰に向けた話し合いが行われます。五代も、そのメンバーの一人として参加していますが、大久保は、その間、五代の屋敷に滞在し関係者と囲碁をしながら過ごしたと言われています。話し合いは難航し、さらに酒癖の悪い黒田清隆(後の第二代内閣総理大臣)が泥酔して暴れたため決裂寸前となりますが、木戸が囲碁会を開催し関係修復を図ったためようやく木戸の政権復帰が決まります。五代は、その碁会にも参加しています。


五代友厚像
五代友厚像(大阪証券取引所)

 以前、ブログでは「大阪証券取引所」と「大阪商工会議所」に建立されている銅像について紹介しましたが、五代の墓も大阪にあります。
 場所は阿倍野区にある「あべのハルカス」に程近い「市設南霊園」で、広大な墓地の中でも、ほぼ中央に位置し、大変目立つ場所にあります。
 明治18年(1885)に糖尿病により49歳の生涯を閉じた五代は、生前より大阪に葬られるのを望んでいたと言われ、大阪の発展のために尽くした五代の葬儀では長蛇の列が出来たといいます。

五代友厚墓所
五代友厚墓所

五代友厚の墓
五代友厚の墓

顕彰碑
顕彰碑

【関連記事】 大久保利通の囲碁仲間 五代友厚

大阪市設南霊園 : 大阪市阿倍野区阿倍野筋4丁目19-115
大阪証券取引所 : 大阪府大阪市中央区北浜1丁目8−16

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金沢区六浦 上行寺

 久しぶりに、横浜市金沢区六浦の「金沢八景駅」近くにある「上行寺」を訪れました。
 上行寺は、もとは真言宗の金勝寺と言いますが、建長6年(1254)に房総から海路鎌倉を目指す日蓮が、六浦の浜に到着した際に乗り合わせた下総若宮の領主富木胤継と仏法について語り合い、その結果、胤継が日蓮に帰依し、祈願寺であった金勝寺を日蓮宗に改宗し「上行寺」としたそうです。
 また、開基の日荷上人は六浦平次郎という六浦湊を支配する豪商でしたが、日祐上人に帰依し、出家して六浦妙法と名乗っています。
 ある日、称名寺の仁王尊が六浦妙法の夢枕に立ち日蓮宗総本山である身延山へ運ぶよう告げます。六浦妙法は称名寺の住職に掛け合いますが当然断られたため、住職の好きな囲碁の勝負を挑みます。激戦の末、勝利した六浦妙法でしたが、住職は「あんな大きなものを運び出せる分けがない」と相手にしません。そこで、六浦妙法はある夜、二体の仁王尊を背負って運び出し三日三晩かけて身延山久遠寺まで運んだと言われています。身延山久遠寺では六浦妙法の功績に対し日荷上人という尊称を贈ったそうです。
 境内には、この時に身延山から持ち帰ったとされる樹齢600年もの榧の木があり、その下に日荷上人の墓があります。

上行寺参道
上行寺参道

日蓮大士船中問答着岸御霊蹟
日蓮大士船中問答着岸御霊蹟

日荷上人ゆかりの榧の木
日荷上人ゆかりの榧の木

日荷上人の墓
日荷上人の墓

神奈川県横浜市金沢区六浦2丁目2-12

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