烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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お菊塚 平塚市

 神奈川県平塚市の紅谷町公園にある「お菊塚」は、怪談「番町皿屋敷」のお菊の墓と伝えられています。
 伝承によるとお菊は平塚宿宿役人眞壁源右衛門の娘で、江戸の旗本青山主膳の屋敷へ行儀見習い奉公に出ていたところ、主人が大切にしていた南京絵皿十枚組のうち一枚を無くしてしまったとして怒りを買い、屋敷内の井戸に投げ込まれて殺されてしまったといいます。
 その後、お菊の遺体は引き上げられ、平塚宿まで送り返されますが、実際は、お菊が皿を無くしたのではなく、言い寄って来た家来を突っぱねたために皿を隠されたという無実の罪で亡くなったそうで、青山主膳の屋敷ではお菊が投げ込まれた井戸で、怨みを抱いたお菊の幽霊が現れたという噂が流れたことが物語が出来た経緯だそうです。
 お菊は眞壁家の墓所に葬られますが、罪人として扱われたため墓石が作られず、その代わりに栴檀の木が植えられたと言われ、昭和27年に戦後復興のために墓地が移転た際に、伝承通り焼けた栴檀の木の下から遺骨が発見されたと言われています。
 そして、その跡地は紅谷町公園の一部となり、お菊塚が建立されています。

入口
入口

お菊塚
お菊塚

お菊塚
お菊塚

説明板
説明板

神奈川県平塚市紅谷町15
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| 江戸時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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平塚駅 囲碁のまちひらつか記念塔

 神奈川県平塚市へやってきました。近代囲碁に大きな功績を残した木谷實九段は、平塚に居を構え、全国の才能豊かな子どもたちを自宅に預かり育てています。
 「木谷道場」と呼ばれた、その家で暮らした弟子は70人近くにもなり、その多くが現代の囲碁界を代表する棋士になっています。
 そのような縁から、平塚市は囲碁を貴重な文化資源として位置付け、囲碁文化の普及・振興を推進しています。

平塚駅
平塚駅

 平塚駅北口付近にある「囲碁のまちひらつか」記念塔は木谷實九段生誕100年を記念して平成21年(2009)に設置されたもので、詰碁の問題が掲示されています。なお、この問題は定期的に変更されているそうです。

囲碁のまちひらつか記念塔
囲碁のまちひらつか記念塔

平塚市宝町 平塚駅北口

| 囲碁のある風景 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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第6期初台碁聖戦本戦大会

1月9日に私の主宰する初台碁聖戦の本戦大会を行いました。参加人数は36人、クラスも4クラスにわかれました。一番上のクラスは県代表クラスから下のクラスは一般のアマ五、六段まで。
今回で6回目となりましたが、現在2連覇中の元アマ本因坊の瀧澤雄太さんが欠場だったのが残念でしたが大いに盛り上がりました。
一番上のクラスだけ結果を掲載します。

優勝 福嶌秀渉(初優勝)
2位 稲葉一宇(第2期・3期優勝)
3位 青木裕孝
4位 伊瀬英介
5位 金井洋龍
6位 山根紹平
7位 林隆羽
8位 茂呂有紗

これからもみなさんに楽しんでいただけるようにしたいです。

囲碁界では囲碁AIのMasterの話題で盛り上がっています。私の周囲でもAIの打った手にいろんな意見を言っている方々がいます。今年は人類とAIの話題がいろいろ出てきそうですね。

| 囲碁あれこれ | 17:42 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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東京大学のルーツ「蕃書調所跡」

 九段下の昭和館の隣りに「蕃書調所跡」の説明板があります。ペリー来航により設立された洋学研究機関で、天文台蛮書和解御用掛を拡充して当初、小川町に「洋学所」として開設されますが、その直後に「安政の大地震」が発生し焼失したため、安政3年(1856)に「蕃書調所」と改称して説明板のある辺りに移転したそうです。
 蕃書調所は古賀謹一郎を頭取とし、先日紹介した箕作阮甫らが教授を務め、幕臣の子を対象に、蘭学や英学などの教育を行う一方、翻訳事業や欧米諸国との外交も担当していましたが、井伊直弼が大老となると洋学が軽視され規模縮小と共に移転。その後政権が変わり護持院原(現神田錦町)に移転し開成学校と改称、これが現在の東京大学のルーツとなっています。

案内図
九段下交差点近くにあった案内図

昭和館と蕃書調所跡
昭和館と蕃書調所跡

説明板
説明板

千代田区九段南1-6

| 江戸時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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九段会館

 神田神保町から九段下まで歩いてきましたが、交差点から九段会館が見えました。
 九段会館は旧軍人会館で、昭和天皇の即位の礼を記念する事業の一環として昭和9年(1934)に竣工。鉄筋コンクリート造で洋風建築の上に和風の大きな瓦屋根を載せた「帝冠様式」の代表作の一つとされています。
 戦前は主に軍の予備役・後備役の訓練、宿泊に使用され、「二・二六事件」勃発時には戒厳司令部が置かれた場所で、終戦後にGHQに接収され進駐軍宿舎として使用された後、国へ返還されると、日本遺族会に対し無償払い下げが行われ、宿泊・結婚式場・貸しホール等として活用されてきました。
 しかし、平成23年(2011)に発生した東日本大震災により、ホールの天井版が崩落し死傷者が出たことから廃業。現在は閉鎖されています。
 今後、高層ビルに建て直されるそうですが、昭和初期の雰囲気を伝える歴史的建造物を、どのように残していくか現在検討されています。

九段会館
九段会館

千代田区九段南1丁目6−5

| 昭和時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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